2011年08月29日

カポエラジオ 第3話「グループとは何ぞや?vol.2」

 今回のテーマは、グループのメンバーはみんな同じような動きをする必要があるかという問題です。そんな必要あるわけないですよね。

 一方で、多くのメストリ達は、今日のカポエイリスタたちの個性の欠如、グループごとに金太郎あめのように同じジンガをするといったことを嘆いている現状があります。それはどのあたりに原因があるのか、というような点について話しています。

第3話「グループとは何ぞや?vol.2」




posted by kubohara at 23:43| Comment(6) | カポエラジオ
この記事へのコメント
型を覚えることやマネることはいいことだと思います。
難しいのはオリジナルへと発展させていくことです。
それを成し遂げるために僕は、単に知識だけでなく感性や表現力を鍛えなければいけません。
Posted by perdido at 2011年08月30日 15:40
メンバーが同じ動きをするのは不自然だと思う…
のは結構最近で、始めた頃はやっぱり決まった型がないと何していいかわからなかった気がします。今はヘネもよくやるように、「ひとりカポエイラ」にも違和感なく取り組めるけど、前は全然だめだった。でも最近は「それぞれの形でやる」ってことが団体内で定着してきたんだなと思う。それが当たり前っていうか。最近新しく入った人も、最初からそういう風に習ってるせいか、ちゃんとそれぞれ自分の動きができててすごい!!
Posted by morango at 2011年08月30日 23:05
でも土台は必要ですよね、グループの共通言語、カポエイラのビジョンの具現化としての
形はやっぱり根底にあるべきだと思います。
セクエンシアもメストリの長年の経験の結晶だと考えます。
そこからスタンダードを身に着けるのも大事だと思いますし。

そうやってくうちにカポエイラの呼吸や間合いとかが自然と身に着いていって
自由は確かな裏付けのその先だと思います。

とはいえいつもこの手の話題になると感じますが
なにより各人の中での『自由』のニュアンスをつかむのが
一番難しいです(苦笑)
Posted by なっち at 2011年08月31日 02:19
 メストリ・ブラジリアがいつも言うのは、セクエンシアは自由になるための踏み台だということですね。ちょうど書道でも、最初はお手本を何千回もなぞって、だんだん自分の書風を作って行くようなものです。武道ではそういう段階のことを、守・破・離と呼んでいます。この表現は見た通りで分かりやすいですね。どんな芸事にもこのステップが必要だと思います。

 なっちが言うようなヴァジアソンの共通言語、ヴィジョンは、メストリ・ブラジリアの説く「pergunta & resposta」です。この点については新しいメンバーにもかなり共有されていると私は感じています。動きそのものよりも、相手との関係性を優先して立ち回るというのが、新しい人たちもよくできているというのを昨日の練習でも感じました。なっちがヴァジアソンに入ってから今日までのジョーゴの変化も、まさにこのビジョンの結晶だと私は見ています。すごく良くなったし、ヴァジアソンらしくなったと思いますよ!
Posted by 久保原 at 2011年08月31日 09:09
ようやくカポエラジオ聞きました。早速コメントさせて頂きます。

先日、金沢GUETOのバチザードの打ち上げで、グランジのスタイルはヴァジアソンらしくない、全然他のメンバーと違うのはなぜか?それでグループとして成立するのか?といった意味の質問を、うけました。
それにたいして、
ヴァジアソンの目指すところは「如何にそれぞれがそれぞれであるか」ということだと俺は理解しているので、そう見えたのなら俺はそれを体現できているということだね。
と答えて置きました。

俺の理解であながち間違いではないですね。

「pergunta & resuposta」に関してはこれはブラジリアに限らず、むしろカポエイラの共通言語ではないですか?これなくしてカポエイラは成立しない。ただ、傾向としてどのような質問をし、それに対してどう答えるか、ここにグループの色がでる?

「カポエイラは会話だよ。」という比喩から読み解くに、グループごとのスタイルの違いとはそれぞれの地方ごとの方言やいわゆる土地柄のようなもの?

グループとは?、如何なる動機で入ったにしろカポエリスタにとってのヴァーチャルな意味での住処、勿論引越し可能。
ただカポエイラという世界に生を受けた場所、これはカポエイラ生に置いて一生消えないし消せない、たとえグループを移ったとしても。だからこそシコリ、確執、軋轢が生ずる。情があるが故に。


その「情」のしがらみをも巧みにいなす技術こそがカポエリスタの求めるものの一つである様に思います。


Posted by grande at 2011年08月31日 17:39
>グランジ
 それはいい答え方をしたね。質問した人に逆に聞いてみたいのは、グランジ以外のヴァジアソンらしさって何?ってことですね(笑)。

 「pergunta & resposta」については、グランジの言うようにまさにカポエイラのエッセンスですね。同時に私がブラジリアに叩きこまれたヴァジアソンの根幹でもあるということです。往々にして今日のカポエイラは「pergunta & pergunta」あるいは「movimento > jogo」です。

 質問の仕方や語彙は、同じ先生に習っている以上ある程度の共通性は出てくるかもしれませんが、私としては最終的には個人レベルのものだと考えています。だからグランジがペドロと全然違って、アスーカやカンナとも誰とも似ていないのは、素晴らしいことです。
Posted by 久保原 at 2011年09月01日 02:34
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