3年ぶりのブラジルということで滞在日数は44日間と、今回のカポエイラ探検隊はいつもより1週間ほど長めです。さらに今回の取材テーマが連盟の現状やオリンピック問題ということで、サンパウロが3週間と一番長く、続いてサルヴァドールの2週間、リオの1週間の順になっています。そのサンパウロも今週末のパラグアス・パウリスタのイベント(コントラ・メストリ・シャンダゥン)で締めくくりです。
今朝は臭いのきつくなってきたシューズを洗ったあと、少し立ち止まって、ここまでで感じていることを整理してみる時間をとることにしました。もちろんそういうことはバスに乗っていても、シャワーを浴びていても考えてはいますが、坐禅や瞑想と同じで、あえてそのためだけの時間をとるということに大きな意味があると思います。
3年ぶりにブラジルの地を踏んでみて(まだサンパウロだけですが)、カポエイラ全体がある意味とても落ち着いてきているように感じています。私が2回目にブラジルに滞在していた97年から99年にかけては、雨後の竹の子のように毎週どこかでCDがリリースされ、複数のカポエイラ専門誌が同じようなネタを掲載し、グループがメガ・イベントを開催してメンバー数を競っていました。そのころと比べると、現在の落ち着きは成熟とさえ感じさせます。
乱立していたアカデミアは格段に減少し、本当に実のあることを教えているメストリ達しか残っていません。もちろんそういうメストリたちにとっても経営的な苦しさは続いていますが、それでも持ちこたえられているのはコアとなる生徒たちがしっかりしているところです。
サンパウロのカポエイラ・ショップは、軒並み縮小しています。実際に店舗が移転し、店舗面積が縮小しただけでなく、取扱品目をみても3年前の面影さえありません。インターネット、youtubeのおかげでCDもDVDもほとんど売れないようですが、半面、店頭に並んでいる数少ない商品は、古いメストリ達の定番作品が多くを占めるようになっています。
同時にそういうショップに卸している楽器職人たちにも確実に淘汰の波が訪れています。この世界は、仕上げの丁寧さや音質としてクオリティーが比較的容易に目に見えるだけに、カポエイラのアカデミア以上に淘汰はシビアですね。
グループやメストリの支持率は、レッスンの質に加えて、友情、愛情という「情」が大きな規定要因になっていますので、メストリの人気は必ずしもその技術力には比例しません。これに対して楽器職人の場合は、どんなに性格が悪くても、作ったものが良ければ売れるという、非常にわかりやすく、それはそれでフェアな世界です。だから昔から頑張っている人も、後から市場に参入してきた人も、今残っている人たちはみんないい仕事しています。
このような目に見える変化は、カポエイリスタ達の心の中の目に見えにくい変化に支えられているのでしょう。
たとえば先日書いたヘプーブリカ広場のホーダの雰囲気もそうですし、昨日行ったメストリ・アナニアスのホーダにせよ、ムゼンザ、コルダゥン・ジ・オウロ、アバダのTシャツを着たカポエイラ達がメストリにコウベを垂れて、怒声を受けています。こういう状況は、つい数年前まではあまり見られないことでした。
さらには彼らのジョーゴのスタイルも(少なくともそういう場に来ている人達については)、アンゴラ的というと単純化しすぎですが、相手とのコミュニケーションを意識したものに変化してきています。同時にアンゴレイロといわれる人たちも、そういうカポエイラとの交流を通じて、より自由でクリエイティブな方向に進んできているようです。この先もこの歩み寄りは深化していくと私は見ています。
アンゴラ/ヘジオナウという二項対立を超えて、メストリ・カンジキーニャの言った「capoeira é uma só(カポエイラは一つだ)」という境地が到来する、いやいや正確には、対立前の本来の姿に戻りつつあると見ることができるのではないでしょうか?
夜はメストリ・ブラジリアのレッスンに行ける最後の日でした。うれしいサプライズは、私のビリンバウの先生で、当時メストリのレッスンの代行も務めていたチーオ・ジョアンが来ていたことです。久しぶりにジョーゴができました。
>ヴァジアソンのメンバーへ:右の女性はアメイシャではありません。
2013年03月07日
capoeira é uma só(カポエイラは一つだ)
posted by kubohara at 01:20| Comment(4)
| カポエイラ探検隊
アメイシャに見守られているようで、全然さびしい気がしません。
次回は横にAmeixaの写真も飾ってください!