2013年07月13日

追悼フレッジ・アブレウ

 明日は朝一番から終日シャンダゥン講習会ですが、今日はこれを書かずしては寝られません。


 誰もが認める世界一のカポエイラ研究者フレデリコ・ジョゼ・ジ・アブレウが亡くなった知らせを今朝受けました。享年66歳でした。


 朝起きたら、おはようを言う前にシャンダゥンが、「リベルダージ、ニュースだ」と切り出しました。急いでパソコンを付けたら、すでにメストリ・ヘネからも知らせのメールが入っていました。


 3月に彼を訪ねた時にも、痩せていて元気は無かったのですが、それほど悪い様子には見えませんでした。病院に行く合間を縫って家に迎えてくれ、いつも通りにソファーに座って話しました。


 今度あそこの大学で本のセールがあるとか、どこの誰がこんな本を書いたとか、いろいろな情報を教えてもらいました。


 私からのお土産は、奥さんのテレーザさんには日本のお菓子を、フレッジは日本の大学ノートがお気に入りで、彼へのお土産はここ数年決まってこれでした。


 フレッジは、お返しに欲しい資料を何でも言えと言ってくれました。私が特にないと答えると、今度リオで1886年に書かれたプラーシド・ジ・アブレウの小説『カポエイラたち』が復刻されたので、それをあげると言いました。ただしリオから来るあるメストリが持ってきてくれることになっているので、もう数日待ってほしいとのこと。指定された日に行くと彼は病院に行っていて、アパートの門番に本を預けておいてくれました。表紙を開けると、そのリオのメストリからフレッジに宛てたサイン入りの本でした。そんなのもらってしまっていいの?と思いましたが、それが結果として形見になってしまいました。


 思えばほんの数日前、そのサイン本の件でフレッジのことを思い出して、連絡しなきゃと思っていたところでした。今思えばそれが虫の知らせだったような気もします。ここまでお別れに来てくれたのでしょうか?


 フレッジの素晴らしいところは、自分の持っている蔵書や資料を快く誰にでも開放し、カポエイラのスタイルやグループに関わらず誰にでも協力を惜しまなかったところです。ここ15年以内に刊行されたカポエイラ関係の本や論文で、フレッジの資料にお世話になっていない作品はまずないと言ってもいいくらい、カポエイラ研究者にとって彼の存在は大きいものでした。2007年に出した拙著『カポエイラ音楽の手引き』の第3版にも巻頭言を寄せてくれました。


 カポエイラにとってこの損失は埋め合わせの効かないほどの大きさを持っていると思います。フレッジ自身はカポエイラをしませんでしたが、メストリ・ジョアン・ピケーノをはじめ、バイーアの古いメストリ達の多くに対してサポートを惜しみませんでした。メストリ・カンジキーニャの未亡人ドナ・イヴォニを訪ねた時、このアパートのドアはフレッジがくれたと言っていたのを思い出します。メストリ・ノローニャが亡くなった時、その未亡人が夫の手記を託したのもフレッジでした。フレッジはその数年後、それに注釈を付けて『ABC de Capoeira Angola』を刊行し、収益はすべてノローニャ夫人に還元しました。


 気さくな人柄と心の大きさで人を惹きつけてやまない人物でした。


 自分の肉親以外の死で、これほどまでに心の痛む思いをしていることに自分でも驚いています。今日は一日、仕事をしているときも練習をしているときも、彼のことが頭から離れないでいました。


 私も微力ながら、カポエイラへの愛情を著作を通じて表現できるあなたのような仕事を残せるよう頑張ります、と心の中で彼に一方的に約束をしました。

 








posted by kubohara at 01:15| Comment(2) | カポエイラ全般
この記事へのコメント
すぐにとは言わなくても、願わくば、彼の跡を引き継いでくれるような人物が現れることを望むばかりですね。
久保原さんが言っていたたくさんの蔵書の行方が気がかりです。私が何をするわけではないですが、残された人たちが困らないように有効に活用されるといいですね。

誰かを思い出したときはすぐ連絡してみようと思いました。
Posted by Naoky@EdB at 2013年07月16日 15:50
 フレッジの娘婿が、サルヴァドールのヒオ・ヴェルメーリョ区でホーダをしているサポチというカポエイラリスタです。おそらくは彼が何か言付かっているだろうと思います。彼も非常に良心的な人なので、きっと最適な運用をしてくれるだろうと思います。
Posted by 久保原 at 2013年07月19日 18:44
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