2014年04月22日

また一人メストリが・・・




 だいぶ間が空いてしまいましたが、下の記事、アラゴイーニャスの旅の結末はこういうことです。

 念願かなってたどりついた家で目にしたのは、床ずれにハエがたかるのを防ぐため蚊帳の中に横たわっていたメストリ・ゼ・ジ・フレイタスの姿でした。すでに意識はなく、医師からもなすすべはないとさじを投げられた状態で、もう1年になるそうです。

 ここにもまたひとりメストリ・パスチーニャが、ビンバが、ヴァウデマールが、パウロ・ドス・アンジョスがいます。

 さきほどfacebookにも書きましたが、昨今のカポエイリスタはアンセストラリダージ(先祖)を敬うことの大事さを主張しますが、一方で現在のことから目をそむけているように思われてなりません。

 明日になれば今日は昨日です。現在を軽んずれば、それは過去を軽んずることに他なりませんし、逆に現在を大切にすることこそが、祖先を大事にすることにつながると思います。

 できる限り多くのブラジル人にもこの状況を知ってもらえればと思いますので、ブラジル人の友人のいる方はぜひシェアをよろしくお願いします。

 ちなみにメストリは、この4月29日に87歳を迎えます。





posted by kubohara at 08:48| Comment(0) | カポエイラ探検隊

2014年03月26日

これぞカポエイラ探検隊(3/20)

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街のほぼ唯一の観光名所 古い教会跡



 今日は文字どおり探検を地で行った一日になりました。

 そもそもゼー・ジ・フレイタスの居所を知るために先週の日曜日にカパゥンのメストリ・バルテローを訪ねました。そしたら「行ったことはあるけど、連れて行ってもらったので、住所は知らない」と言われ、彼の先生のメストリ・オラヴォ(ビリンバウで有名なオラヴォとは別人)の連絡先を教えてもらいました。

 オラヴォには何度電話せどつながらず、再びバルテローを介して、オラヴォの奥さんから住所を聞き出してもらいました。ところが、その住所というのが通りの名前だけで、番地はなし。ただ「線路の近く」というだけの非常に頼りないものでした。

 それでもと思いgoogleマップで通りの名前を検索してみると、通りは見つかりはしたのですが、なんと通りに沿う形でずっと線路が続いています。しかも結構大きい通りで、かなり長い。これでは全部「線路の近く」状態で、とても手掛かりにはならないだろう、とつぶやくしかありませんでした。

 それでもメストリの高齢と病状からして来年はないかもしれないという思いから、とにもかくにもアラゴイーニャスの地へ向かうことにしたしだいです。

 アラゴイーニャスのバス停に着き次第、モトタクシー(オートバイのタクシー)に頼み、例の通りまで連れて行ってもらいました。またその運転の荒いことといったら・・・。日本に子供が3人いることを話し、ここでバイクから落ちて死ぬわけにはいかないと、スピードを落とすように頼みました。

 通りに着いてからが本番です。とにかく線路の近くと言っても、全部線路沿いなので、片っぱしからこの辺りにカポエイラのメストリが住んでいないかと尋ねて回りました。ところが誰に聞いても「知らない」という答え。ようやく若いカポエイリスタなら知っているという情報を得、カポエイリスタなら何か手掛かりをつかめるだろうとその人の家へ。ところが出て来たのはお母さんで、息子は留守だとのこと。

 がっくりうなだれながら、これ以上モトタクシーの兄ちゃんをつき合わすのも悪いので(しかもただじゃないし)、あとは自力で探すからと別れを告げました。

 ここからは単独行です。近くの人に片っ端から聞いて回ります。こうなったら砂浜で落としたピアスを探すようなもの。もう後は運に任せろと、楽な気持でトイレを借りた店の店主が、向かいの通りにカポエイラと柔道を教えていたメストリが住んでいたが、その人ならおそらく亡くなっているというではありませんか。柔道も教えていたという点と年齢が90近いという点から、これはメストリ・フレイタスに間違いないと確信し、教えてもらった地点に走りました。

 ところがその辺りに行っても近くの住民はそんな人は知らないといいます。なるべく古くからそこに住んでいそうな老人を中心に聞いているにも関わらずです。またしても私の頭の中には小田和正の「君が嘘をついた」が流れ始めます。

 そんなときです。ドラマが急展開したのは。

 二人組で歩いてきた青年にダメもとで声をかけたところ、母親なら知っているだろうと、わざわざ自分の家まで戻ってくれました。出てきたお母さんに、これまで数十回繰り返してきた説明を聞かせると、それならその向かいの家がそうだとのこと。下の写真がその家です。

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 しかしまだここで終わりません。今はその家は空き家だと来ました。ドラマはそう来るか・・・、とニュートラルな感慨を覚えながら、当然、今はどこにいるのかと聞きました。

 そしたら今度はお母さんが、隣のおばさんに聞きに行ってくれ、ようやく現在の居場所が判明しました。ここからそう遠くない場所で、先ほどの青年が案内してくれるとのこと。

 ようやく手ぶらで帰ることのない予感を感じながら、歩くこと20分ほど。ここだ、と着いたのが下の写真です。

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 次回へ続く。






posted by kubohara at 22:16| Comment(303) | カポエイラ探検隊

リオからバイーアへ(3/14)

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 リオからサルヴァドールへ向かう機内からの風景です。

 ゆるやかに丸みを帯びた水平線から宇宙に向かって青の深みが増していく様に、地球を感じました。



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 ラセルダのエレベーターを下から見た図。

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 メルカード・モデロ前を一面埋めつくしていた露店は、市によって一時的に移転させられていました。この通り閑散としています。またリフォームした後に復活される見通しとのこと。やはりワールドカップ対策でしょうか?

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 初日に食した1年ぶりのバイーア料理。私の大好きなシンシン・ジ・ガリーニャ(Xinxim de galinha)にヴァタパ(vatapá)、カルル(calulu)、フェイジョン・フラジーニョです。


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 昼間の写真は見飽きているので、たまには夜景を。ラセルダのエレベーターです。






posted by kubohara at 13:04| Comment(0) | カポエイラ探検隊

山奥のホーダ(3/16)

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 バイーアの観光名所の一つ、というよりはリゾート地と言ったほうがいいかもしれませんが、今日はヴァリ・ド・カパゥン(カパゥン渓谷)にメストリ・バルテロー(Mestre Barteló)を訪ねました。

 彼とは昨日のフェイラ・ジ・サンタナのホーダで初めて出会ったばかりです。彼の先生のメストリ・オラヴォ(ビリンバウで有名なオラヴォとは別人)が、サンパウロの先駆者の一人メストリ・ゼー・ジ・フレイタスの弟子だと聞いて、興味をそそられ、急きょお邪魔する約束を取り付けたしだいです。

 行き当たりばったりの出会いで、どんどんはまり込んでいくのがカポエイラ探検隊のだいご味でもあります。


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 こういう岩山、大自然に囲まれた素晴らしい村でした。この日は日曜日で、朝市には地元人よりも世界中から集まってきたヒッピーのほうが多いくらいの印象を受けました。

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 左の黄色いTシャツがメストリ・バルテローです。




posted by kubohara at 12:42| Comment(0) | カポエイラ探検隊

o mo Deus!(3/15)

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クラウジオの後ろに顔を出しているのはサポチ


 今日はフェイラ・ジ・サンタナのメストリ・クラウジオのホーダに行きました。

 朝10時前には着く予定で出発しましたが、途中の道路工事のおかげでバスが大幅に遅れ、結局着いたのは11時30分ごろ。すでにアデウスを歌っている最中でした。

 あわてて駆けつけた私を見つけてくれたメストリが呼んでくれ、メストリを含めて立て続けに5人とジョーゴをさせてもらって、ホーダが終わりました。滑り込みギリギリの幸運でした!

 さぁそのあとサンバだというところで大雨に。あえなく10分ほどでお開きになり、速やかに飲み会へと移行したのでした!!

 タイトルの「o mo deus」というのは、O meu Deus(Oh my God!)をメストリ・クラウジオが茶化してマイ・ブーム化させている言葉で、シャンダゥンのグループでも流行り言葉になっていました。この日はオリジナルの「オ・モ・デ〜ウス」が聞けて大感激でした!

 ちょうど上の写真は「オモデ〜ウス」と叫んでいる瞬間です。

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posted by kubohara at 03:40| Comment(0) | カポエイラ探検隊

2014年03月25日

お宅訪問(3/12)

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 私にとっては最も優れたカポエイラ研究者の一人マチアス・アスンサゥン氏に、今朝メストリ・マホンの練習に行ったときに、ばったり出会いました。

 彼は現在イギリスの大学で教鞭をとっていますが、調査のため長期でリオに滞在中とのこと。メストリ・コブラ・マンサとともにアンゴラをおとずれ、カポエイラの祖先とされる格闘ダンス、ンゴロ(n'golo)の現状を追ったドキュメンタリー『Jogo de corpo』を製作している人でもあります。

 さっそく今日のお昼過ぎに約束をし、お宅にお邪魔していろいろ話をしてきました。今年のカポ探、ここまでで最も大きな収穫でした。


 マチアス氏の家からバスに乗り、イタプアンの家へ。

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 17:30の約束が少し早く着いたので、いっしょに長男のハヴィ君を幼稚園に迎えに行きました。お隣さんの子供もついでに乗せてきて、イタプアンもすっかりパパの顔。

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 今晩はフェハドゥーラも合流して、先日ホライマで行われたモヴィメント・ノーヴォのビデオ編集を行うことになっていました。が・・・、結局は最近のカポエイラの話でずっとしゃべりっぱなしで、日本食の出前を取って、しゃべって、気がついたら23時を回っていました。

 イタプアンには二男のカエターノ君が誕生しています。おめでとう!!

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posted by kubohara at 05:13| Comment(0) | カポエイラ探検隊

2014年03月14日

有色人種(3/6)

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「あるアフリカ人作家の手紙」と題された張り紙


 シャンダゥンのアカデミアの壁にさりげなく貼ってあった一編の詩です。


我が兄弟、白人よ・・・・

生まれたとき、私は黒かった
成長してからも、私は黒かった
太陽にあたっても私は黒く
寒い時も私は黒い
恐怖に震える時も私は黒い
病の時も私は黒い
死ぬ時も私は黒いだろう

しかしあなた方白人はどうだろう

生まれた時は赤みがかって
成長したら白くなって
太陽に当たれば真っ赤になり
寒い日には紫色になり
恐ろしい時には真っ白になり
病気の時には緑になり
死ぬ時には灰色になる

それでもなおあなた方は

私のことを

有色人種と呼ぶのだろうか?







posted by kubohara at 19:59| Comment(0) | カポエイラ探検隊

川遊び(3/2)

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 カーニバル中でもシャンダゥンのところの練習は止まりません。

 夕方6時30分からの練習前に、滝に連れていてくれました。

 今朝は5時30分のバスでサンパウロからボネカが合流。いっぺんに賑やかになりました。

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生えているサトウキビをもぎ倒して、歯で皮をはぐシャンダゥン




posted by kubohara at 19:46| Comment(0) | カポエイラ探検隊

2014年03月11日

フェハドゥーラのレッスン(3/11)

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 今朝はリオのカポ・ショップに顔を出して、店主のブルーノと1年分の溜まった話題をいろいろおしゃべり。ここでは買い物より情報交換がメインです。

 商品的には、日本で売るほどのめぼしいものはほとんどありませんでした。ジョンゴのCDを3枚とメストリ・ボア・ヴォイス、メストリ・ナゴのCDを自分用に買っただけです。

 メストリ・ナゴは、今はアバダですが、昔センザーラ時代にトニ・ヴァルガスと共作で出したLP(私はカセットしか持っていません)は、非常にすばらしい作品でした。その記憶があったので、現在はどんなだろうと興味を持ったしだいです。


 夕方はフェハドゥーラの練習に参加しました。昨年と同じ顔ぶれが半分、新しい顔ぶれが半分でした。

 昨日の練習にしてもそうですが、近年の彼の練習はムージカポエイラ(musicapoeira)の影響がプンプンです。ムージカポエイラとは彼が考案した音楽の練習法で、音楽と動きをいかにシンクロさせるか、楽器の音と歌声をいかに調和させるかという点に主眼を置いているようです。

 練習が始まる前、ひとり目を閉じて「ン〜ン〜ン〜」と音階を裏声で歌うフェハドゥーラは、ちょっと不気味でした(笑)。

 最後すごく良かったのが、上の写真でもわかると思いますが、フルートとカヴァキーニョを導入したホーダです。とてもメロディカルで、また別のエネルギーが宿りました。別の日にはサックスも登場するそうです!!



posted by kubohara at 10:23| Comment(0) | カポエイラ探検隊

2014年03月04日

海を越えた偶然(3/4)

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 写真に写っている黄色のTシャツの人はプレットというカポエイリスタで、職業として指圧などもすることから、彼がスペインにいる時に日本に行きたいのだがと相談された人でした。

 それまでメールでやり取りしただけの人がなんと偶然、シャンダゥンの練習に現れたのでした。聞けば、ここパラグアスの出身で、里帰りで立ち寄ったところ、ビリンバウの音がしていたのでのぞいてみたとのことでした。
 
 そこにたまたま私がいたというわけです。偶然にもほどがあると二人であきれた次第です。

 翌日お昼ご飯に呼んでもらい、紹介してくれたのがパラグアスのカポエイリスタの重鎮の一人メストリ・ビエです(写真真ん中)。

 聞けば彼のメストリのメストリ・インジオがその昔サンパウロでメストリ・ブラジリアに学んでいたとのことです。これまた奇妙な縁に感心したのでした。

 その後シャンダゥンに池というか沼に連れていてもらいました。カンナ、クルィスは見学。ボネカと二人水浴びしている図が下です。

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posted by kubohara at 10:53| Comment(0) | カポエイラ探検隊