2014年02月25日
パラグアス合宿(2/25〜)
カーニバル中はカポの練習を始め、街の様々な機能がストップします。例年はカーニバルが終わるタイミングを待ってカポエイラ探検隊を始めていたのですが、今年はカーニバルが3月4日までと遅く、終わるまで待っていると時間がなくなってしまうので、カーニバルを避ける形でサンパウロの地の果てパラグアス・パウリスタにやってきました。
ここでコントラ・メストリ・シャンダゥンの家にお世話になりながら1週間半カポエイラ漬けの日々を送りました。
こじんまりした街はすべて歩いて回れます。バスもありません。
posted by kubohara at 11:06| Comment(0)
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2014年02月21日
ハファエウ、ペルナ、ソンブラ(2/21)
カポエイラ探検隊2日目は、午前10時にジャバクアラ駅でハファエウとの待ち合わせから始まりました。
ハファエウといってもピンとくる人は、まだ多くないと思いますが、メストリ・アナニアスのCDで「ハファエ〜ウ」とメストリが何度も呼んでいるあの人だと言えば分かる人もいるのではないでしょうか?いないですよね(笑)。
私にとってはメストリ・アナニアス直伝のビリンバウを受け継いでいる数少ない本物の一人です。まだこれから彼の名前は知られていくと思います。
ハファエウとオレンジジュースを飲みながら、カポエイラとの出会いや彼のカンドンブレについてひとしきり話を聞きました。
そこにやって来たのはメストリ・ペルナロンガ。本当は今晩の彼のホーダを訪ねる予定だったのですが、私の都合が合わずに、ジャバクアラまで出てきてもらうことになりました。
彼は先週の土曜日(2/15)
夜はボネカの誘いに乗ってサントスへ、メストリ・ソンブラを訪ねました。ちなみにサントスは、1908年6月18日に最初の日本移民を乗せた笠戸丸が入港した町です。
この日の練習は夜8時からということで、現地入りしたのも8時前ぎりぎり。夜の港町は淫靡な香りがぷんぷんです。
人影もまばらで、オレンジ色の街灯が怪しい道をしばらく行くと、ビリンバウの音が聞こえてきました。
メストリとは1999年に彼が主催したジョアン・グランジとルーア・ジ・ボボの講習会で会って以来の再会です。
アカデミアに入って見ると、その縦長の間取り、壁の写真の飾り方、塗られたペンキの色合いが昔のメストリ・ブラジリアのアカデミアとそっくりで妙な懐かしさを覚えました。
posted by kubohara at 11:30| Comment(0)
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2014年02月20日
カポエイラ探検隊2014
2月20日午前6時のサンパウロから、今年もカポエイラ探検隊2014が始まっています。
ところが今回はカメラの故障とネット環境の悪さのため、ブログ更新もままならないまま、はや1週間が過ぎてしまいました。
今日は3月1日。5日前からパラグアス・パウリスタのシャンダゥンの家に来ています。
サンパウロ市からバスで7時間の田舎町。シャンダゥンは地の果てといいますが、昼でも夜でも鍵をかけずに家を出られる、ある意味ブラジルに残された希少な「天国」です。
ここでようやくWifiに恵まれたところで、これまでの探検経過をざっと報告していこうと思います。
posted by kubohara at 03:53| Comment(0)
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2013年03月28日
ドバイから
今この記事はアラブ首長国連邦のドバイで書いています。
27日午前に渡伯前から入院していた98歳になる祖父の容態が悪くなった知らせを受け、28日の便で急きょ帰国することにしました。
今回のメインイベントの一つだったメストリ・ジョアン・グランジのワークショップには出られなくなりますが、私の生まれた時からの「メストリ」である祖父には替えられません。
そもそも旅行前からそういう覚悟をして出発はしているものの、死んでしまってからでは何億積んでも時間は戻せません。おじいちゃんはきっと「戻ってこんでもええ」と言うと思いますが、こちらの気持ちの収めかたもありますので、迷わず帰ることにしました。
知らせを受けたその晩のうちに夜行バスでリオからサンパウロに戻り、朝一番に旅行代理店に駆け込んで、その日の晩のチケットを買いました。ブラジルから日本の当日便の切符を買うなんて初めてでしたが、運よくエミレーツ航空に1席だけ空きがあり、とりうる手段のうち最速で帰国することができました。
というわけでカポエイラ探検隊2013の現地からの報告はここまでで一区切りとしますが、関連記事は引き続き掲載していきます。
祖父に何もなければ4月6日(土)午前10時から12時までヴァジアソンのアカデミアで帰国報告会を行いますので、関心のある方はぜひ遊びに来てください。いろんな裏エピソードなどもお話しできると思いますよ。
午後1時からはホーダ、その後、1品持ち寄りで飲み食いパーティーを行います。参加費は無料ですが、1品持ち寄りのご協力をお願いします。
さらにサイト掲載に先駆けて、今回仕入れたカポ・グッズの先行販売もできると思います。お楽しみに!
27日午前に渡伯前から入院していた98歳になる祖父の容態が悪くなった知らせを受け、28日の便で急きょ帰国することにしました。
今回のメインイベントの一つだったメストリ・ジョアン・グランジのワークショップには出られなくなりますが、私の生まれた時からの「メストリ」である祖父には替えられません。
そもそも旅行前からそういう覚悟をして出発はしているものの、死んでしまってからでは何億積んでも時間は戻せません。おじいちゃんはきっと「戻ってこんでもええ」と言うと思いますが、こちらの気持ちの収めかたもありますので、迷わず帰ることにしました。
知らせを受けたその晩のうちに夜行バスでリオからサンパウロに戻り、朝一番に旅行代理店に駆け込んで、その日の晩のチケットを買いました。ブラジルから日本の当日便の切符を買うなんて初めてでしたが、運よくエミレーツ航空に1席だけ空きがあり、とりうる手段のうち最速で帰国することができました。
というわけでカポエイラ探検隊2013の現地からの報告はここまでで一区切りとしますが、関連記事は引き続き掲載していきます。
祖父に何もなければ4月6日(土)午前10時から12時までヴァジアソンのアカデミアで帰国報告会を行いますので、関心のある方はぜひ遊びに来てください。いろんな裏エピソードなどもお話しできると思いますよ。
午後1時からはホーダ、その後、1品持ち寄りで飲み食いパーティーを行います。参加費は無料ですが、1品持ち寄りのご協力をお願いします。
さらにサイト掲載に先駆けて、今回仕入れたカポ・グッズの先行販売もできると思います。お楽しみに!
posted by kubohara at 01:34| Comment(0)
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2013年03月25日
カポエイリスタとインドの肉屋
今朝は朝一番に空港に向かい、昼過ぎにはリオに着きました。リオでの1週間はフェハドゥーラの家に泊めてもらうことになっています。
今日は移動日で大したネタもありません。フェハがサンパウロのワークショップに呼ばれて、今日リオに帰ってきたようで、一日会えず。アパートに荷物だけ置かせてもらって、コパカバーナの海岸でしばし佇む午後を過ごしました。
そういえば昨日のメストリ・アンジェロ・ホマーノとのおしゃべりで、カポエイラには結束が足りないという話題から、カポエイリスタの悪しき習性についてメストリがとても的確な喩えをしていたので紹介します。
これを聞いて、昔ひろさちやの本で読んだインドの肉屋の話が頭をよぎりました。確かこんな内容です。
神様がある肉屋に何でも好きな希望をかなえてやると言います。ただし隣の肉屋にはその2倍を与えると。お前に1億やるなら、隣には2億を与えると。しばらく考えた肉屋は、「ならば私の片目を潰してください」と言ったのです。そうすれば隣の肉屋の両目が潰れると考えたのですね。
前にも紹介したことがありますが、メストリ・パスチーニャの言葉です。
今日は移動日で大したネタもありません。フェハがサンパウロのワークショップに呼ばれて、今日リオに帰ってきたようで、一日会えず。アパートに荷物だけ置かせてもらって、コパカバーナの海岸でしばし佇む午後を過ごしました。
そういえば昨日のメストリ・アンジェロ・ホマーノとのおしゃべりで、カポエイラには結束が足りないという話題から、カポエイリスタの悪しき習性についてメストリがとても的確な喩えをしていたので紹介します。
ここに1000ドル稼げる仕事がある。他方で100ドルしか稼げないがライバルを邪魔する仕事があるなら、カポエイリスタはそちらを選ぶ。こうして足を引っ張り合っているのが、昔から変わらないカポエイラの現状だ。
これを聞いて、昔ひろさちやの本で読んだインドの肉屋の話が頭をよぎりました。確かこんな内容です。
神様がある肉屋に何でも好きな希望をかなえてやると言います。ただし隣の肉屋にはその2倍を与えると。お前に1億やるなら、隣には2億を与えると。しばらく考えた肉屋は、「ならば私の片目を潰してください」と言ったのです。そうすれば隣の肉屋の両目が潰れると考えたのですね。
前にも紹介したことがありますが、メストリ・パスチーニャの言葉です。
Eu sou como a aranha que tece sua teia para viver,. Não tenho nada contra ninguém, Apenas teço minha teia.
わしは巣作りをする蜘蛛のようなものだ。だれに対しても何の批判もない。ただ自分の巣を編むだけだ。
posted by kubohara at 22:57| Comment(2)
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2013年03月24日
探検は続く
今日はサルヴァドールの最終日。それでも「探検」は今日も続いてます。
ボカ・ヒーカの弟子メストリ・ヒッキとともに訪れたのは、かつてメストリ・パスチーニャと練習していた老人です。
その人はアンジェロ・ホマノ(Angelo Romano)、70歳。パスチーニャがアカデミアを追い出されたあと、ペロウリーニョに部屋を確保した人です。2回の脳溢血を患ったのちドン・ペドロ2世養老院にパスチーニャを連れていったのも彼だとのことでした。
もう一人はジュラシー・ド・アゴゴ(Juracir do agogô)。いつもアゴゴを叩いていたのでこのあだ名がついたそうです。
夜はヒオ・ヴェルメーリョ区のサポチのホーダに行ったのですが、1時間待っても始まらず。結局誰かが彼に電話をして、サポチが旅行中だということが判明しました。結構な人が待ちぼうけを食らった形になりますが、誰一人イライラしてるような人もいません。
私はすかさず想像してしまいました。同じことを日本でしたらどうなるかと。おそらくブラジルでブラジル人の行為に対してなら待てる人も、舞台が日本になったとたん攻撃側に回るのではないでしょうか?複雑な気がします。
ボカ・ヒーカの弟子メストリ・ヒッキとともに訪れたのは、かつてメストリ・パスチーニャと練習していた老人です。
その人はアンジェロ・ホマノ(Angelo Romano)、70歳。パスチーニャがアカデミアを追い出されたあと、ペロウリーニョに部屋を確保した人です。2回の脳溢血を患ったのちドン・ペドロ2世養老院にパスチーニャを連れていったのも彼だとのことでした。
もう一人はジュラシー・ド・アゴゴ(Juracir do agogô)。いつもアゴゴを叩いていたのでこのあだ名がついたそうです。
夜はヒオ・ヴェルメーリョ区のサポチのホーダに行ったのですが、1時間待っても始まらず。結局誰かが彼に電話をして、サポチが旅行中だということが判明しました。結構な人が待ちぼうけを食らった形になりますが、誰一人イライラしてるような人もいません。
私はすかさず想像してしまいました。同じことを日本でしたらどうなるかと。おそらくブラジルでブラジル人の行為に対してなら待てる人も、舞台が日本になったとたん攻撃側に回るのではないでしょうか?複雑な気がします。
posted by kubohara at 04:58| Comment(0)
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2013年03月23日
フェイラ・ジ・サンタナ再訪
今日はサルヴァドール最後の土曜日ということで、先週に引き続きフェイラ・ジ・サンタナのメストリ・クラウジオのホーダを訪れました。
ホーダに歩いて向かう途中、ダウン症の子供たちが陽気に踊っている光景が見えました。「Ser diferente é normal(違っていることは当たり前のことだ)」のフレーズが素敵だったので、一枚撮りました。
またしばらく行くと古雑誌のセール市が。カポエラジオでもおなじみの、ピアーダ(ジョーク)を集めたものがあったので、思わず買ってしまいました。まだ目を通していませんが、面白いのがあったら、またアップするつもりです。
サンバがメインでカポエイラがおまけといったら大げさかもしれませんが、そういう印象のあるホーダです。
彼らのカポエイラの素晴らしい点の一つは、ジョーゴ・ジ・ジニェイロ(口でお金を拾うのを競うジョーゴ)を生きた伝統として継承しているところです。実際、さくらではなく、本物の見物人たちから紙幣が投げ込まれます。
さながら大相撲の懸賞金のように、見ごたえが期待されるジョーゴには、投げ込む人の数も金額も上がります。2レアル、5レアル、10レアルときて、20レアル紙幣が投げ入れられた時にさすがに驚きました。
取った、取られた、取り方がずるい、というようなコミカルなやり取りを観客は楽しみます。お金は本当に取った人のものになるようで、先生も生徒もなく、時に目が真剣になるところが逆に笑えます。
帰りのバスの中で隊員のミシリカが見つけたアナウンスです。一見、日本でもバスや地下鉄に張ってあるおなじみのシールに見えますが、よく見るといちばん左に太った人のデザインが。さすがに肉食の国にあっては、肥満の人も気遣われるべき対象に入るようです。
ホーダに歩いて向かう途中、ダウン症の子供たちが陽気に踊っている光景が見えました。「Ser diferente é normal(違っていることは当たり前のことだ)」のフレーズが素敵だったので、一枚撮りました。
またしばらく行くと古雑誌のセール市が。カポエラジオでもおなじみの、ピアーダ(ジョーク)を集めたものがあったので、思わず買ってしまいました。まだ目を通していませんが、面白いのがあったら、またアップするつもりです。
サンバがメインでカポエイラがおまけといったら大げさかもしれませんが、そういう印象のあるホーダです。
彼らのカポエイラの素晴らしい点の一つは、ジョーゴ・ジ・ジニェイロ(口でお金を拾うのを競うジョーゴ)を生きた伝統として継承しているところです。実際、さくらではなく、本物の見物人たちから紙幣が投げ込まれます。
さながら大相撲の懸賞金のように、見ごたえが期待されるジョーゴには、投げ込む人の数も金額も上がります。2レアル、5レアル、10レアルときて、20レアル紙幣が投げ入れられた時にさすがに驚きました。
取った、取られた、取り方がずるい、というようなコミカルなやり取りを観客は楽しみます。お金は本当に取った人のものになるようで、先生も生徒もなく、時に目が真剣になるところが逆に笑えます。
帰りのバスの中で隊員のミシリカが見つけたアナウンスです。一見、日本でもバスや地下鉄に張ってあるおなじみのシールに見えますが、よく見るといちばん左に太った人のデザインが。さすがに肉食の国にあっては、肥満の人も気遣われるべき対象に入るようです。
posted by kubohara at 19:44| Comment(0)
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2013年03月22日
悪魔のアントニオ!
とうとう会うことができました。メストリ・アントニオ・ジアボ(Mestre António Diabo)。カンジキーニャの古い弟子で、メストリ・ブラジリアやパウロ・ドス・アンジョスよりも先輩にあたる人物です。現在80歳。
ジアボというのは「悪魔」という意味で、数々の所業からそういうあだ名がついたようですが、今はエヴァンジェリコ(厳格なキリスト教の一派)に改宗して、自らアントニオ・ジ・デウス(神様のアントニオ)と名乗っています(笑)。
教えてもらった住所を訪ねて行きたかったのですが、どうしても特定することができず、ABCA(ブラジル・カポエイラ・アンゴラ協会)での待ち合わせとなりました。
「ジアボ、悪魔と言われるくらいなんだから、どんな悪漢なんだろう」とイメージが膨らみすぎていて、実際に会ってみるとあまりの普通さに少々拍子抜けしてしまいました。
しかし昔の話を聞いているとすさまじさの片鱗は確かに感じられました。警察が撃った7発のうち5発を受けたとか、その時の傷がこれだと、シャツをまくり上げて見せてくれました。「それでも死ななかったんですね?」というと「神様も来てほしくなかったんだろう」とにやりと笑いました。
もともとメストリ・アントニオは、レスリング、ボクシングを経て、カポエイラを始めたそうです。レスリングは、バイーアを代表する格闘家で、グレーシー柔術との対戦でも有名なヴァウデマール・サンタナのところで練習したとのこと。実はヴァウデマール・サンタナ自身もカポエイリスタで、メストリ・パスチーニャの本『カポエイラ・アンゴラ』にもその名が登場します。
メストリ・アントニオのことは、メストリ・ブラジリアからも聞いていましたし、メストリ・ペレもカンジキーニャのショーで一緒に出演していた仲間です。さらに先日の記事にも書いたように、友人のブリットさんの先生でもある人です。
まるでパズルの欠けていたピースが埋まったような、オセロの一打で、縦横斜めがさぁーっと色が変わっていくような、今回の出会いはこれまでの知識とのそういう連鎖反応を感じました。
長話の最後に聞いてみました。
「メストリは今日でもカポエイラはするんですか?」
「もちろんするさ。でもホーダには行っていない」
「どうしてですか?」
「最近のホーダはとても乱暴になっている。やられたら、やり返さないわけにはいかないから、行かないんだ」
アントニオ・ジ・“デウス”らしからぬ、穏やかでない発言に怪訝な顔をしていると、こう言いました。
「エヴァンジェリコでは、右のほほを打たれたら左のほほを出せという。しかし神様はまだそれをわしに教えていない。あるいは、まだわしが学べていないんだ」
と、中身はまだジアボの片鱗を残しているメストリでした。
夜はメストリ・ヘネのACANNEのホーダへ。
その後、ヴァジアソン・メンバーでサルヴァドールに来ているマリア・フマッサと夕食を食べました。
posted by kubohara at 23:17| Comment(0)
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2013年03月21日
やっぱりサファリ!
やっぱりここはサファリでした!!
郵便局で私の後ろからすっーと出てきたのは、メストリ・オラヴォ(Mestre Olavo)。ビリンバウ職人として有名なメストリです。サンタ・モニカ区に工房があって、毎週日曜日はそこでホーダもしています。今回は顔出す時間はないなと思っていたところの出来事でした。
彼の工房の写真は、私の前のブログに「職業としてのビリンバウ職人」として載せたことがあります。関心のある方は、そちらの記事ものぞいてみてください。http://capoeira.exblog.jp/1143132/
今日は荷物の梱包に1日を捧げると決めたので、注文してあったカバッサを取りに下町に向かいました。ラセルダのエレベーターを降りて足早に歩いていると、角に立っているのはメストリ・ブルゲィス(Mestre Burguês)ではありませんか。言わずと知れたグルーポ・ムゼンザの代表です。
思えば私が95年にパラナ州クリチバ市のムゼンザ本部を訪ねたときが、メストリ・ブルゲィスとのファースト・コンタクトでした。もっとも最近では、2009年のカポ探のときにリオ・デ・ジャネイロで会っています。メストリ・フッソらカシアスのホーダのCDレコーディングを彼が企画し、私たちも飛び入りでコーラスに参加させてもらったときです。なのでジャケットの裏表紙にはcoroとして私たちの名前もちゃんと印刷されているんですよ(笑)。そのCDは今回仕入れて日本に持って帰ります。
夜はメストリ・ジョアン・ピケーノ(Mestre João Pequeno)のホーダに行きました。いまにもメストリが出てきそうな、あの日のままの雰囲気です。いつもメストリが座っていた椅子にリボンが掛けられ、バケッタとメガネが置かれていました。
バテリアもやはりジョアン・ピケーノ。速いリズムに慣れた身には逆に持て余してしまいますが、アカデミア内に飾られたメストリの写真や絵を見ながら、じっくりリズムを噛みしめて動きました。
郵便局で私の後ろからすっーと出てきたのは、メストリ・オラヴォ(Mestre Olavo)。ビリンバウ職人として有名なメストリです。サンタ・モニカ区に工房があって、毎週日曜日はそこでホーダもしています。今回は顔出す時間はないなと思っていたところの出来事でした。
彼の工房の写真は、私の前のブログに「職業としてのビリンバウ職人」として載せたことがあります。関心のある方は、そちらの記事ものぞいてみてください。http://capoeira.exblog.jp/1143132/
今日は荷物の梱包に1日を捧げると決めたので、注文してあったカバッサを取りに下町に向かいました。ラセルダのエレベーターを降りて足早に歩いていると、角に立っているのはメストリ・ブルゲィス(Mestre Burguês)ではありませんか。言わずと知れたグルーポ・ムゼンザの代表です。
思えば私が95年にパラナ州クリチバ市のムゼンザ本部を訪ねたときが、メストリ・ブルゲィスとのファースト・コンタクトでした。もっとも最近では、2009年のカポ探のときにリオ・デ・ジャネイロで会っています。メストリ・フッソらカシアスのホーダのCDレコーディングを彼が企画し、私たちも飛び入りでコーラスに参加させてもらったときです。なのでジャケットの裏表紙にはcoroとして私たちの名前もちゃんと印刷されているんですよ(笑)。そのCDは今回仕入れて日本に持って帰ります。
夜はメストリ・ジョアン・ピケーノ(Mestre João Pequeno)のホーダに行きました。いまにもメストリが出てきそうな、あの日のままの雰囲気です。いつもメストリが座っていた椅子にリボンが掛けられ、バケッタとメガネが置かれていました。
バテリアもやはりジョアン・ピケーノ。速いリズムに慣れた身には逆に持て余してしまいますが、アカデミア内に飾られたメストリの写真や絵を見ながら、じっくりリズムを噛みしめて動きました。
posted by kubohara at 19:18| Comment(0)
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2013年03月20日
オランダからの贈り物
今朝はオランダのカポエイリスタからすごいメールが届きました!!こんなこともあるんだなと、改めてインターネットの力を見せつけられた気がします。
彼はメストリ・トゥカノ・プレット(Tucano Preto)が私のfacebookの投稿に寄せてくれたコメントを見て、このカポエラジオに一通り目を通してくれたそうです。当然日本語なんて分かるわけないと思うのですが、メストリ達の名前に付しているローマ字が目に留まったのでしょうか?あるいは載せている写真のマニアック度が気に入ってくれたのか、ブログのコンテンツをとても褒めてくれました。
それで「君ならそれに値する。この情報をプレゼントして進ぜよう」というわけで、先日私がずっと探していると書いたメストリ・アントニオ・ジアボの自宅の電話番号を教えてくれたんです。ええっ〜、サルヴァドールでどのメストリたちに聞いても分らなかった連絡先がオランダから届くとは!
彼は2009年にアントニオ・ジアボ(Mestre António Diabo)をインタビューしたということです。
さらにメールでは、「メストリの住んでいるところはかなりヤバい地区なので、決して一人では行くな。メストリを外に呼び出して会ったほうがいい」など、逆に胸躍るようなアドバイスをくれました。
連絡してどうだったかって?気になりますよね(笑)。
さっそく電話してみたところ、呼び出しはするのですが、誰も出ませんでした。「この番号は現在使われていません」でないだけよかったです。「この受話器の向こうにアントニオ・ジアボが出てくる」という、ちょっとしたロマンをしばし楽しむために、昨日は続けては連絡しませんでした。
また顛末は追って報告します。
夜はメストリ・ボカ・ヒーカ(Mestre Boca Rica)のアカデミアを訪ねました。
ボカ・ヒーカが到着するまで、右腕のメストリ・ヒッキ(Mestre Ricky)とボカ・ヒーカ・メドレーを演奏しました。ヒッキのビリンバウ、歌い方、声色までがボカ・ヒーカそっくりになっているのに感動。もちろん師匠のコピーがいいというわけではないですが、よほど丁寧に聞き込んで、練習したんだろうと思います。弟子のメストリに対する敬愛が伝わってきました。
メストリが到着してからもカポエイラ、サンバと延々教えてもらいました。同じフレーズを何度も歌いながら、細かいタイミングなども注意してもらい、至福の時間を過ごしました。
メストリ・ボカ・ヒーカのヴィオラは、やや低めのチューニングで、非常に伸びのあるトンが特徴です。ビリンバウ1本とパンデイロ2枚、アタバキ1台でしたが、ビリンバウが全く埋もれず、とても心地のいい演奏でした。
サント・アントニオ要塞を後にしたのが10時過ぎ。メストリ達とゆっくりペロウリーニョに向かいながら別れたのが11時。開いている店を探して食事し終わったときには、日にちをまたいでいました。こんな感じでカポ探の一日一日が過ぎていきます。
日本では子供たちは春休み。今日はアンパンマン・ミュージアムに行ってきたそうです。手のかかる3人のチビたちの面倒を見ながら頑張ってくれている妻に感謝です。4月4日に帰国した時には新学期。今年は長女の卒園式にも出られませんでした。こちらはこちらで充実しきっていますが、これから毎年春休みを子供たちと過ごせないかと思うと、渡伯のタイミングもずらさないと、と考えてしまします。
posted by kubohara at 19:16| Comment(4)
| カポエイラ探検隊