2013年03月19日

カンタドールとアニマドール・ダ・ホーダ

 朝一番から仕入れ、発送関係で動き回りです。金曜日までにキリをつけたいので、テキパキ動きました。

 どこへいってもカバッサがない、カバッサがないといわれますが、あるところにはあるというのも確認しました。ただビリンバウ用に使い物になるのは、そのうちのごく少数です。

 さらには職人たちの立場からすると、カバッサ単体で売るよりも、シェケレなどに加工して売るほうがうんと利益が大きいので、カバッサ単体では売りたくないという本音もあるようです。


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ジーニョの作業場



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アタバキのカスコ(樽)を接着している図




 合間にメストリ・ルーア・ハスタ(Mestre Lua Rasta)のアトリエへ。メストリはパンデイロ作りの最中だったんですが、手を動かしながらひとしきりおしゃべりに付き合ってくれました。日本とブラジルの共通の友人の近況などを伝えあったり、ここでも最近のホーダの中や外の話になりました。



 今日の収穫の一つはメストリ・ロウリンバウ(Mestre Lourimbau)のCDを入手できたことです。本当は直接会いたいと思って、いろいろ当たりましたが、これまでのところ手がかりをつかめずにいました。彼の素晴らしいドキュメンタリーはこちら。








 夜はABCA(ブラジル・カポエイラ・アンゴラ協会)のホーダへ行きました。火曜日なのであんまり人は集まらないだろうとは思ったのですが、メストリ・ペレ・ダ・ボンバ(Mestre Pele da Bomba)の歌を聞きたくて行ったようなものです。

 あるメストリによるとカポエイラの歌い手は、カンタドール(cantador:歌手)とアニマドール・ダ・ホーダ(animador da roda:ホーダの盛り上げ役)の2種類に分けられ、その人によるとメストリ・ペレは後者だそうですが、私個人的にはペレの野太くてパワーのある声が大好きです。

 ちなみに両者の違いというのは、カンタドールは心をこめてメロディカルな歌い方をするのに対し、アニマドールのほうはただ大声で盛り上げるだけという感じで説明していました。たとえばヴァウデマールやボカ・ヒーカはカンタドールだということです。


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 ABCAでは4月5日のメストリ・パスチーニャの誕生日を祝うイベントを企画しています。サルヴァドールにいる人はぜひ参加してみてください。






posted by kubohara at 09:58| Comment(2) | カポエイラ探検隊

2013年03月18日

サルヴァドール50%

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 午前中は思い切ってオフ。

 オフというのは、こういうブログの更新や日本との連絡などに時間を使う時間です。だから昨日は3日分のブログを一気にアップできました。

 実際こっちにいるとパソコンに向かっている時間が惜しいです。ただ今回は初めてノートパソコンを持ってきたので、こういうブログの更新も可能になりました。加えて3年前にはネットカフェに行くしかなかったのが、今ではWiFiでどこでもつながる環境が整ってきています。おかげで家族の顔を何度でも見ることができ、サウダージのつかの間の癒しには役立っています。




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 昼飯を食べて、ヘネの子供たちのレッスンを見学に行く予定でしたが、行ってみると門に鍵が。電話で確認したら、なんと明日の勘違いでした。急いで走ってきたのにがっかりです。

 その帰りにアミーゴス・ダ・バイーアのヒーボとエロイーザに道でばったり。そばの本屋まで付き合ってもらいながら、バイーア情報をいろいろ教えてもらいました。




 その後は、先日も記事に書いたバイーア連邦大学(UFBA)の本セールへ。ところが特定の本だけのセールで、お目当てのものは通常の値段でした。だから、サルヴァドールにいる人に薦めましたけど、行かないでください。カーニバルのときと昨年末に全商品40%引きのようなすごいのをやっていたそうです。




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ホーダのフライヤー



 続いてUFBAのオンジーナ・キャンパスに、セン・テーハが主宰するホーダに参加しに行きました。彼はメストリ・ヘネの生徒で、『Jogo de discursos – A disputa por hegemonia na tradição da capoeira angola baiana』という素晴らしい本の著者です。

 このホーダは基本的にUFBAの学生ばかりで、アンゴラもヘジオナウもコンテンポラニアも入り混じった、とてもデモクラチックな雰囲気のホーダでしたよ。とてもよかったです。ここにも「Capoeira é uma só(カポエイラは一つだ)」の原点を見た気がしました。


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 そういえば今日は道を歩いていて偶然メストリ・ボカ・ヒーカと会いました。ちょうどヘネのところへ走って行く途中だったので、おしゃべりもそこそこにまた水曜のホーダで会おうと別れました。

 今回はまだサント・アントニオ要塞(Forte Santo Antonio)にもメストリ・ルーアの店にも行けていません。バタバタしているうちにサルヴァドールも半分すぎてしまいました。






posted by kubohara at 20:03| Comment(1) | カポエイラ探検隊

2013年03月17日

おしゃべりな日曜日

 日曜日のペロウリーニョは閑散としています。この閑散具合で、1週間めぐったんだなという気がしました。




 午前中はカポエイラ研究家のフレッジ・アブレウ(Frederico Abreu)の家を訪ねました。

 彼はここ数年体調を崩していて、自宅で療養しています。話をするのは問題ないから、ぜひおいでとのことでしたので、お土産の資料類を携えて、少しだけお邪魔することにしました。

 3年間分のカポ研究の動向やブラジル内外の動きなどを教えてもらいました。

 そのほか今UFBA(バイーア連邦大学)で本のセールをしているそうで、大学がこれまでに出版したカポエイラ関係の本も何冊か含まれているそうです。サルヴァドールにいる人で関心のある人は、Praça da SéからVila Atlántico行きのバスで、Retoriaで降りると、すぐキャンパスになっています。私もまだこれから行くのでわかりませんが、そこの本屋さんだそうです。







 午後からは友人のブリットさんのお宅にお邪魔しました。


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右から2人目がブリットさん


 彼はカンドンブレのオガンで、アフロ・ブラジル文化やヨルバ語などに精通しています。むかし彼が浜松に住んでいた時、ある大学で彼が行った講演会で知り合い、以来、サルヴァドールに帰郷後もずっと親交を保っている人です。

 カポエイラにしてもヴァウデマールのホーダに通っていたり、パスチーニャのアカデミアにも足を運んでいたそうです。彼はとくにカポエイラのメストリではなく、いわゆるカポエイラ研究者でもないので、当時を生きた一人のカポエイリスタの目で、非常に中立で客観的な話を聞くことができます。

 ちなみに彼のメストリはアントニオ・ジアボ(António Diabo)。カンジキーニャの弟子で、私がずっと探し続けている人物です。噂ではエヴァンジェリコに改宗し、「アントニオ・ジ・デウス」(ジアボは悪魔、デウスは神様の意味)になった!!という冗談のような話は耳にしましたが、ブリットさんを含め、誰も彼の消息を知っている人はいません。

 さらに彼のお父さん(写真で緑のシャツの人)は現在86歳ですが、むかし少年のころノルデスチ・ダ・アマラリーナに住んでいたころに、ときどきメストリ・ビンバのアカデミアを覗き込んでいたそうです。サルヴァドールにいると、カポエイリスタでなくても、思いがけない人たちがいろんな情報を持っていて、さながら宝探しの感があります。



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 ブリットさんの家から歩いて3分のところにマイ・メニニーニャで有名なカンドンブレのテヘイロ「ガントアー」があります。メストリ・アコルデオンの曲など、カポエイラの歌にもしばしば登場しますね。今日は残念ながらしまっていたので、外から写真だけ撮りました。




 ところで宝探しの「宝」はこんなところにも転がっていました。ガントアーの脇にある友人のバーで飲んでいると、メストリ・エジキエウの生徒だというパウロ・カボキーニョという人と知り合いました。

 彼は聞きもしないのにビンバについて語り始め、ヘジオナウに影響を及ぼした中国人格闘家の話やビンバの元夫人による手記の存在などを教えてくれました。ビンバの高弟たちは秘密の保持を固く決め、真実を語らずに隠し続けているというくだりにいたっては、何となく疑わしい気持ちも抱きつつ、一方でロマンのようなものも感じながら、ビールをあおりました。




 本当はこのあとにヒオ・ヴェルメーリョで行われるサポチのホーダに行く予定にしていたのですが、ちょっと予定が押して行けませんでした。こちらは来週行けそうなので、また報告します。




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夕暮れに染まるラセルダ・エレベーター






posted by kubohara at 23:46| Comment(0) | カポエイラ探検隊

2013年03月16日

メストリ・クラウジオのホーダへ

 今朝はカフェも飲まず、7時に宿を出て、フェイラ・ジ・サンタナに向かいました。

 メストリ・クラウジオ(Mestre Claudio)を代表とするアンゴレイロス・ド・セルタゥン(Angoleiros do Sertão)のホーダに参加するためです。ここも毎回のカポ探のレギュラー・コースの一つです。


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路上ホーダの遠景



 カポエイラの時間をしのぐほどのサンバ・ジ・ホーダは、このグループの特徴です。

 ホーダ後の飲み会でも、サンバの大衆を巻き込む力がカポエイラよりも高いこと、カポエイラもかつてのヴァウデマールのホーダがそうであったように、非カポエイリスタにも開かれた形にするべきだという話をクラウジオがしてくれました。

 このグループの雰囲気は、先生と生徒、生徒同士の関係が本当に強く、メストリ・プリーニオやコントラ・メストリ・シャンダゥンのところと並んで、非常に学ぶところが多いです。


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続きはバールでも!



 飲み会の席に誰かがアタバキとブンボを持ち込んだから、もうおしまい、ではなく、始まりです。ここからえんえん2時間以上サンバが続きました。

 これが毎週ですからね。やはり日本では難しいでしょうね・・・。



 ここへは来週も来ようと思ってます。




posted by kubohara at 08:54| Comment(0) | カポエイラ探検隊

2013年03月15日

アレンベッピと白鯨

 今朝はカフェを早々に切り上げ、アレンベッピ海岸へ飛びました。


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左からメストリ・ペレ・ダ・ボンバ、メストリ・アウグスト・ジャヌアリオ


 途中ABCA前にたたずむメストリ・アウグスト(Mestre Augusto Januário)とばったり。彼は以前ブラジル・カポエイラ連盟でアンゴラ部門の役職を務めていたこともあり、今回アポを取ろうと思っていた人でした。これまた偶然のおかげで、電話代が浮きました!




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お昼は蟹のムケッカとキウイのカイピロスカ



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 アレンベッピの目的は、プライアでもムケッカでもなく、メストリ・ルーア・ジ・ボボ(Mestre Lua de Bobó)を訪れることでした。

 2005年にお邪魔した時にはまだ作りかけだったアカデミアもすっかりきれいになり、メストリ・ボボの写真も中央に掲げられてありました。

 メストリともホーダでのリスペクトをめぐる話になりました。どこでもメストリ達の気がかりは共通しているようです。

 
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 4時にはアレンベッピを後にし、ACANNEのホーダのあるサルヴァドールへ引き返しました。今晩はコントラ・メストリ・ヘニとセウマ夫妻がパリへ、メンバーのアンドレが米国へ旅立つ前の、いってらっしゃいホーダでした。

 さほど人数も多くなかったので、ヘニ、FICAのアロアンらとじっくりジョーゴすることができました。





 その後はメストリ・ルーアのホーダをはしご。彼のアトリエから歌いながらテヘイロまで練り歩き、ホーダの始まったのが22時30分くらい。終わったのが0時30分でした。

 3年ぶりにグアシニンとジョーゴをし、年月の流れを感じました。これは今回の旅でしみじみ感じることです。

 私がカポエイラを追っかけてサルヴァドールに行き始めたころ、メストリ・ヴァウミールの息子アロアン(Aloan)はお父さんに手をひかれていたし、弟はまだ抱っこされていました。ヘネの息子のヘニも中学生くらいで、メルカードモデロの裏でピコレを売っているのを買ってあげたことがあります。グアシニンにしてもあどけない少年でした。それが今日、立派な青年になって、いわゆる「動き」のレベルでは世界トップクラスに成長してきています。

 そんな彼らとジョーゴをしてみて、こちらの「老い」と同時に、ブラジルから離れてカポエイラに取り組む「限界」を見せつけられたような気がします。正直に告白しますが、彼らに対する羨望と嫉妬を禁じえませんでした。そんな自分が白いクジラに復讐を誓うエイハブ船長に重なります。自分の中にいまだ根強い「動き」に対する執着と、普段生徒たちに話していることとのかい離を目の当たりにし、とても恥ずかしい気持ちになりました。

 もっともこういう気持ちを抱えることが私にとってのカポ探の収穫であり、日本では「上に立っている」気分に浸っている自分への戒めにほかなりません。奇しくも明日は私の42歳の誕生日。私は全く信じていませんが、妻に言わせれば前厄から本厄にかかる忌まわしい時期だそうです。あらためて気を引き締めなおしてカポエイラに向き合おうと思いました。





posted by kubohara at 08:42| Comment(4) | カポエイラ探検隊

2013年03月14日

ビゾウロ、マクレレ、サント・アマロ

 ゆっくり降りていくシャッターの最後50センチの所をスライディングしてほら穴を脱出する。転んでたまたま手をついた壁が秘密の扉のボタンだった。

 まるでアドベンチャー映画のようにすべてがうまく運び、開かないと思っていた扉がどんどん開いていく。今日は文字通り「探検隊」の日でした。私たちの心をいっそう躍らせたのは、その舞台がサント・アマロだったということです。


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ドナ・ジウダの家に掛けられていたサント・アマロの古い写真



 サント・アマロ、嗚呼サント・アマロ。

 ビゾウロが生きた町。マクレレが生まれた町。ビンバをはじめ多くのメストリ達がカポエイラ発祥の地と信じている町。アベヘ、コブリーニャ・ヴェルジ、ガト・・・多くのマンジンゲイロを輩出してきた町。


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サント・アマロの青空市



 ある意味多くのカポエイリスタにとって、この地はまだまだ秘境です。名も知られていないメストリ達がひっそり暮していて、その記憶や教えが人知れず消えていく。カポエイラ・ブームもサルヴァドールまでで、幸運にもなかなかここまでは届きません。




 まずはカーザ・ド・サンバ(casa do samba)のガト・ゴンイス(メストリ・ガトの息子)に挨拶。ちょうどビリンバウを作っている最中でしたが、なんでも1本のヴェルガで2つの高さの異なる音に対応する代物だとのこと。これまで様々に研究を重ね、最良のデータを蓄積しているとのことでした。

 カーザ・ド・サンバではスタッフのゲゲウに再会。予定を話すと、今日の夕方に車でサン・ブラィスに連れて行ってくれるというではありませんか。優しい申し出とスムーズなことの運びに感動しながら、街へ繰り出しました。



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ドナ・ジウダ


 ドナ・ジウダ(Zilda Paim)はメストリ・ポポを様々な形でサポートしたマクレレ復興の陰の立役者です。現在94歳で、一昨年亡くなったジョアン・ピケーノと同じ年齢ですが、名前もあまり知られていないので、ほとんど取りざたされることはありません。

 彼女こそマクレレが今日の形にいたるまでの過程をすべて見てきている生き字引です。だれがいつ何をしたから今こうなっている、たとえば今はマクレレの棒を「グリマ」というが昔は「カセッチ」と呼んでいた。カセッチには男根の意味もあるから社会に普及する過程で名称を変えたんだとか、昔は棒だけだったのをショーで迫力を出す「必要性」からエミリアとヴィヴィがファカゥンを導入したとか、本当に細かいエピソードを語ってくれました。

 彼女の家には2009年にもお邪魔していろいろお話を聞きました。その時に買った彼女の著書をメストリ・ブラジリアが非常に気に入って、ボネッカに買ってこいとのミッションを下されたので、再度の訪問となりました。

 伺った時は玄関先で寝ておられて、声をかけたら、門の鍵を投げてくれました。とてもお元気で、再訪を喜んでくれました。



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メストリ・フェリッピ


 昼ご飯を食べる時間もなく、バナナやブドウを歩きながら食べ、向かったのは、メストリ・クラウジオとの合作CDで日本でもおなじみのメストリ・フェリッピ(Mestre Felipe)の家です。ビゾウロを描いたドキュメンタリー(映画ではなく)にも登場していた中心自分物の一人です。彼は今85歳。

 彼の師匠はメストリ・ポポの息子のメストリ・ヴィヴィ・ジ・ポポで、メストリ・カルカラの先輩にあたります。メストリ・ポポというと誰もがまずマクレレを思い浮かべると思いますが、卓越したカポエイラでもあったそうです。

 今回はサント・アマロの古いカポエイリスタ達の話を聞かせてくれました。



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メストリ・メシアス


 メストリ・メシアス(Mestre Messias)は、サント・アマロの隣町サン・ブラィス(São Brás)のカポエイラ・アンゴラの先駆者です。

 彼はメストリ・ガト・プレットとともにメストリ・リオ(Mestre lio)に学んだそうです。「ガトはその後サルヴァドールへ行き、パスチーニャと交わり始めた。わしも来るように呼ばれたが、わしは行かなかった」と話してくれました。

 実際メストリ・メシアスは地元に密着した活動をいろいろしているようです。4月7日には「Festa dos mentirosos(うそつきのお祭り)」を主催し、エイプリルフールにちなんで、最も手の込んだ”うそ”の語り手を選ぶコンテストが行われます。

 8月16日には、カポエイラ、マクレレ、サンバ・ジ・ホーダにブンバ・メウ・ボイなどを織り込んだお祭りを行います。そのときにサルヴァドールに滞在している人はぜひ足を延ばしてみてください。



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ジョアン・ド・ボイ


 サン・ブラィスといえば、私としてはカポエイラよりもサンバ・ジ・ホーダの地として認識していました。そして今日、サン・ブラィスどころかヘコンカヴォ・バイアーノを代表するサンバ・グループが、サンバ・シューラ・ジ・サンブラィス(Samba chula de São Brás)です。

 メストリ・メシアスの訪問を終え、サント・アマロへの帰り道、前から馬で来る人影が。時は夕刻。運転していたゲゲウが、なんの感情の起伏も見せずつぶやきました。

 「ほらジョアン・ド・ボイだよ」

 ジョアン・ド・ボイ(João do Boi)とアルミニオ。彼らこそサンバ・シューラ・ジ・サンブラィスのリードヴォーカル、今日のサンバ・ジ・ホーダ最高の二人組といわれる、そのジョアン・ド・ボイです。

 アポしてでも会いたいと思っていた人が、向こうからやってきてくれるとは。しかも馬に乗って!ショーのない時は牧場などの管理をしているそうです。残念ながら話している時間はありませんでしたが、写真だけ撮ってもらい、楽しみは来年に取っておくことにしました。





 話はまだ終わりません。車の中で知って驚いたのですが、サン・ブラィスに連れて行ってくれたゲゲウが、なんとメストリ・ポポの実の孫だったんです。父親はFUNARTEがリリースした民族音楽シリーズの「カポエイラ」でビリンバウをレコーディングしているメストリ・ヴァヴァだとのこと。なんたる偶然。

 話していると確かにマクレレには異常に詳しく、自主制作したというマクレレの音源も聞かせてくれました。私たちが知っているカポエイラのおまけのマクレレとはだいぶ趣の異なる感じでしたが、これがオリジナルだと家元の風を漂わせていました。








posted by kubohara at 20:16| Comment(0) | カポエイラ探検隊

2013年03月12日

フェイラ、連盟、古本とフィーリョス・ジ・ビンバ

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 サルヴァドールの台所フェイラ・ジ・サン・ジョアキン。ここは2005年以来毎回のカポ探で、外さず訪れるところです。ここは入るだけでアシェが充電されます。私にとっては。ほかの隊員は臭いでギブアップする人もいます!


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 野菜、果物、香辛料、肉、カンドンブレの祭具にいたるまで、地元人たちの生活に欠かせないものがすべて揃います。ただ通路が狭くなり、さらに入り組んで、3年前と比べると内側の風通しが悪くなったような気がしました。


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 午後からはバイーア州カポエイラ連盟(Federação de Capoeira do Estado da Bahia)に取材するつもりで、カストロ・アウヴィス広場にある事務所を飛び込みで訪ねました。しかしビルの守衛によると、なんと半年以上前に退去し、現在は活動休止状態とのことでした。

 Que mandinga!

 会長に電話で連絡がつかなかったので、突撃取材を試みたんですが、逆に出鼻をくじかれました。


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カポエイラだけでなくさまざまな種目の連盟事務所が入居する通称「スポーツの宮殿」



 ちなみにバイーア州連盟のサイトによるとブラジル・カポエイラ連盟(Confederação Brasileira de Capoeira)に加盟とありますが、当のブラジル・カポエイラ連盟が執行部の背任などで事実上破たんしており、それに代わる国家レベルの連盟としてブラジル・スポーツ・カポエイラ連盟(Confederação Brasileira de Capoeira Desportiva)というのがリオにあります。これが現在、国際カポエイラ連盟(FICA)の公認を受けています。CBCD会長のメストリ・ティーチャーには、25日以降リオで取材を申し込んであります。




 思いがけず時間が空いたので、古本屋回りをしました。カポエイラ関係はほとんど出てこないのは毎度のことですが、ときどきふっと掘り出し物に遭遇することがあります。

 今回はレコード関係で、メストリ・ビンバ、メストリ・スアスナのvol.1、カマフェウ・ジ・オショッシ、カイサーラ、割合レア物ではエミリア・ビアンカルジが主宰していたショー・グループ「VIVA BAHIA」のライブ・レコードもありました。私はいずれも日本に持っているので買いませんでしたが、私が入手した当時よりも値段はだいぶ吊り上っていました。

 値段の高騰と言えば古典中の古典ヴェウデロイール・ヘゴ著の『カポエイラ・アンゴラ』です。今回はありませんでしたが、店主によれば一時1,200レアルまで上がったそうです。今は1レアル=50円で計算しているので、約60,000円ですね。私が95年にサルヴァドールの同じ古本屋で見つけた時は、200レアルでした。それが折からのカポ・ブームで97年には750レアルになっていてびっくりしたものです。その後も上がり続けたということですね。



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 メストリ・ネネウ(Mestre Nenel)が明日から米国に行くということで、顔だけ見にフィーリョス・ジ・ビンバ(Filhos de Bimba)に立ち寄りました。長年のばしていたラスタを落とし、今は丸坊主です。もうあと10年もしたら、お父さんのビンバそっくりになってくるでしょう。

 「僧侶になった」というので、「出家のきっかけは何だったんですか?」と切り返すと、「サルヴァドールは暑すぎる」という極めて俗人的な答えが返ってきました(笑)。






posted by kubohara at 20:27| Comment(0) | カポエイラ探検隊

2013年03月11日

3年ぶりのサルヴァドール

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 月曜日のせいか、3年ぶりのペロウリーニョは閑散としています。カーニバル後だからという人もいますが、私がいつも来るのもカーニバル後なので、たぶんそのためではないと思います。いずれにせよもともとあの喧騒があまり好きではない私にとっては、しっとり落ち着いた街並みを味わうことができてかえってよかったです。


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 グレゴリオ・マットス通りを下るとABCA(ブラジル・カポエイラ・アンゴラ協会)の前でメストリ・ペレ・ダ・ボンバに、FMB(メストリ・ビンバ財団)の前でナウヴィーニャ(ビンバの娘)に、タボアン通りを下るときにメストリ・クリオーに次々と遭遇。

「あぁ、やっぱりサルヴァドールだなぁ」と一同。まるでサファリでライオンやサイと遭遇したような興奮といったらメストリ達に失礼ですが、そういうライブ感、ラッキー感を噛みしめました。

 宿に荷物を置いたら、昼飯を食べに外出。3年ぶりということで、あったものがなかったり、なかったものができていたり、一つ一つチェックしながらの散策です。


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 メルカード・モデロのある下町でビリンバウ職人のヴァウミールを訪ねます。サンパウロではビリーバの入手が難しいと聞いていましたが、彼によるとカバッサのほうが欠乏状態とのことです。実際彼も水曜日からセルジッピにあるカバッサ農園を訪ねて、仕入れをしてくるとのことでした。


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以前はカポ・ショップ ビリンバウでも販売していた蛇皮パンデイロ
現在は規制がかかってブラジル国外に持ち出すのは至難です



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写真に入りきりませんが3mはある大蛇です




 夜はメストリ・ヘネのACANNEの練習に参加しました。ちょうどパリから帰国中のコントラ・メストリ・ヘニもいて、熱のこもったレッスンとなりました。3日前にサルヴァドール入りしていたヴァジアソン・メンバーのマリア・フマッサとも会えました。


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 ヘネの練習は午後8時30分までだったので、結構早く終わったなと思っていたんですが、夕食を食べる場所探しにひと苦労。観光客の影もほとんどなく、レストランも軒並み早めに店を閉めていたのでした。それでもようやくたどり着いたところで、サルヴァドール初日に乾杯。ミシリカには初ムケッカとなりました。




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2013年03月10日

数時間後にサルヴァドールです

 金曜日の朝一番にサンパウロを出て、パラグアス・パウリスタのイベントに参加してきました。

 今こちらは日曜日の夜中ですが、さっき宿に戻ってきて、また朝4時にはここを出発して、7時の飛行機でサルヴァドールへ向かいます。

 メストリ・クラウジオ、メストリ・アンゴリーニャも来ていて、パラグアスは素晴らしい時間でしたよ。何より学ばされたのはコントラ・メストリ・シャンダゥンのグループの結束力でした。この3日間のことはまたサルヴァドールに着いたら書くつもりです。

 ではこれから荷造りします。







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2013年03月07日

capoeira é uma só(カポエイラは一つだ)

 3年ぶりのブラジルということで滞在日数は44日間と、今回のカポエイラ探検隊はいつもより1週間ほど長めです。さらに今回の取材テーマが連盟の現状やオリンピック問題ということで、サンパウロが3週間と一番長く、続いてサルヴァドールの2週間、リオの1週間の順になっています。そのサンパウロも今週末のパラグアス・パウリスタのイベント(コントラ・メストリ・シャンダゥン)で締めくくりです。

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 今朝は臭いのきつくなってきたシューズを洗ったあと、少し立ち止まって、ここまでで感じていることを整理してみる時間をとることにしました。もちろんそういうことはバスに乗っていても、シャワーを浴びていても考えてはいますが、坐禅や瞑想と同じで、あえてそのためだけの時間をとるということに大きな意味があると思います。


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右上の額の正体は?     答えは一番下を見てね! 




 3年ぶりにブラジルの地を踏んでみて(まだサンパウロだけですが)、カポエイラ全体がある意味とても落ち着いてきているように感じています。私が2回目にブラジルに滞在していた97年から99年にかけては、雨後の竹の子のように毎週どこかでCDがリリースされ、複数のカポエイラ専門誌が同じようなネタを掲載し、グループがメガ・イベントを開催してメンバー数を競っていました。そのころと比べると、現在の落ち着きは成熟とさえ感じさせます。

 乱立していたアカデミアは格段に減少し、本当に実のあることを教えているメストリ達しか残っていません。もちろんそういうメストリたちにとっても経営的な苦しさは続いていますが、それでも持ちこたえられているのはコアとなる生徒たちがしっかりしているところです。

 サンパウロのカポエイラ・ショップは、軒並み縮小しています。実際に店舗が移転し、店舗面積が縮小しただけでなく、取扱品目をみても3年前の面影さえありません。インターネット、youtubeのおかげでCDもDVDもほとんど売れないようですが、半面、店頭に並んでいる数少ない商品は、古いメストリ達の定番作品が多くを占めるようになっています。

 同時にそういうショップに卸している楽器職人たちにも確実に淘汰の波が訪れています。この世界は、仕上げの丁寧さや音質としてクオリティーが比較的容易に目に見えるだけに、カポエイラのアカデミア以上に淘汰はシビアですね。

 グループやメストリの支持率は、レッスンの質に加えて、友情、愛情という「情」が大きな規定要因になっていますので、メストリの人気は必ずしもその技術力には比例しません。これに対して楽器職人の場合は、どんなに性格が悪くても、作ったものが良ければ売れるという、非常にわかりやすく、それはそれでフェアな世界です。だから昔から頑張っている人も、後から市場に参入してきた人も、今残っている人たちはみんないい仕事しています。

 このような目に見える変化は、カポエイリスタ達の心の中の目に見えにくい変化に支えられているのでしょう。

 たとえば先日書いたヘプーブリカ広場のホーダの雰囲気もそうですし、昨日行ったメストリ・アナニアスのホーダにせよ、ムゼンザ、コルダゥン・ジ・オウロ、アバダのTシャツを着たカポエイラ達がメストリにコウベを垂れて、怒声を受けています。こういう状況は、つい数年前まではあまり見られないことでした。

 さらには彼らのジョーゴのスタイルも(少なくともそういう場に来ている人達については)、アンゴラ的というと単純化しすぎですが、相手とのコミュニケーションを意識したものに変化してきています。同時にアンゴレイロといわれる人たちも、そういうカポエイラとの交流を通じて、より自由でクリエイティブな方向に進んできているようです。この先もこの歩み寄りは深化していくと私は見ています。

 アンゴラ/ヘジオナウという二項対立を超えて、メストリ・カンジキーニャの言った「capoeira é uma só(カポエイラは一つだ)」という境地が到来する、いやいや正確には、対立前の本来の姿に戻りつつあると見ることができるのではないでしょうか?



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メストリ・ビンバからブラジリアが授与されたパネル



 夜はメストリ・ブラジリアのレッスンに行ける最後の日でした。うれしいサプライズは、私のビリンバウの先生で、当時メストリのレッスンの代行も務めていたチーオ・ジョアンが来ていたことです。久しぶりにジョーゴができました。


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ブラジリアのベスト・パートナーといわれるゼ・ジ・モウラとのジョーゴをモチーフにした絵





上の問題の答え
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菊の御紋 昭和天皇・皇后のご真影でした!

※筆者の思想とは無関係です



>ヴァジアソンのメンバーへ:右の女性はアメイシャではありません。







posted by kubohara at 01:20| Comment(4) | カポエイラ探検隊