2013年03月05日

サンパウロのノルデスチ

 ノルデスチというのはブラジルの北東部のことです。バイーアのサルヴァドールはすでにノルデスチに入ります。

 今ふと思ったんですが、日本では東北地方といいますけれど、よく考えたら方位の正式な呼び方からすれば、北と東の間は「北東」なんですね。でそれぞれの間は「北北東」「東北東」といずれも「北東」がベースになっています。なんで日本の「北東」部だけ東北と逆に呼ぶのか、何か理由があるんでしょうかね?

 まぁ、それはいいんですが、今日は朝からノルデスチ色の強い一日となりました。

DSCF7257.JPG


 ブラィス駅の裏手にノルデスチの物品ばかりを扱っている店が立ち並んでします。そこを冷やかしながら、友人に教えてもらったCDショップへ行き、エンボラーダのCD5枚とランピァウンに関する本を買いました。

 エンボラーダは面白いですよ。パンデイロを叩きながら2人が即興で掛け合いをする音楽のジャンルなんですが、リズムの中に言葉を収める難しさは言うまでもなく、特定の行に韻を踏まなくてはいけなかったり、かつ人を笑わせるための工夫が必要で、あれこそ本物の芸・アート、真の「芸人」「アーティスト」だと思います。勢いやノリだけで押し切ろうとするどこかの国の芸人たちに見習ってほしいところです(笑)。

 エンボラーダをする人を大きい括りでヘペンチスタと言います。即興という視点でヘペンチスタたちの努力や腕前に比べたら、多くのカポエイリスタはちょっとかなわないと思います。というより最近はブラジル人メストリたちでさえ、決められたフレーズの羅列に安住し、言葉で遊ぶというカポエイラの重要な伝統を忘れかけ始めているようにみえます。

 これが非常に得意だったメストリの一人が、メストリ・カンジキーニャでした。日本ではトリボ・ダ・ルーアのマンデラが、とてもクリエイティブに言葉を操りますね。私たち日本人にはなかなか容易な芸当ではありませんが、私も少しずつ挑戦してみたいと思っています。



 DSCF7256.JPG


 続いてビリンバウの先につける革を買いに行きました。アラーミが食い込んでも裂けない硬いものを選びます。

 動物愛護の観点からすると怒られそうですが、あの革の質感が私は大好きです。バックスキンのデザートブーツを裸足で履くとか、自分の腰の形にねじれよれたベルトとか、使い込まれてひび割れた手帳の背やカバンの取っ手など、どこか自分の延長と化して見える感覚があって、見ているだけでヒーリング効果がありますね。

DSCF7252.JPG


 同じ感覚を私は加工前のカバッサにも感じます。うす皮や汚れのついた自然な感じがいいですね。だから私はそれらを全部覆い隠してしまうペイントがあまり好きではありません。現在アンゴレイロたちがビリンバウをペイントするのは、メストリ・ヴァウデマールの影響ですが、なにかにつけてエコロジーとか自然さを重んじるようなことを言うアンゴラの人たちにしては、???という感じがします。例えば木目の美しい無垢材のテーブルにペンキを塗るかという話です。その意味では、ビリンバウのペイントに反対していたメストリ・ビンバに私は共感します。




 夜は3度目のメストリ・アナニアスのホーダ、ということは今日で2週間が過ぎ、明日から3週間目が始まるということです。

 それにしてもすごいスピードで記憶が過去のものとなっていっています。ちょうど新幹線で窓の外を見たとき、景色がどんどん後ろに飛んでいく、あんなイメージです。

 今日はハファエウのビリンバウが唸りました。アナニアスゆずりの複雑なヴァリエーションを縦横無尽に弾きながら歌も安定して歌える実力は圧巻です。聞き入るあまり手拍子を忘れていたら、メストリの怒声が飛んできました。





posted by kubohara at 04:31| Comment(2) | カポエイラ探検隊

2013年03月04日

すべての人がカポエイラに与えるわけではない

visaodo11.JPG


 今日の午前中は、リオ・グランジ・ド・スル州に広大なファゼンダ(牧場)を持ち、牧畜で成功を収めている知人を訪ねました。

 上の写真は、その事務所が入るリベルダージのビルの11階から眺めた風景です。なかなかこの高さからの眺望は珍しいですね。奥に見えている塔のあるところがパウリスタ大通りです。



peterbrandao.JPG


 昼はブランダゥンの工房で打ち合わせ、商談、だべり。

 そこへサンパウロのンジンガ(Nzinga)を引っ張るピーターがやってきて、アタバキとパンデイロのセッションが始まりました。この間みたいに雨を呼ばないか心配でしたが、今日は大丈夫でした。



pernalongafamilia.JPG


 夜はジアデマ市にあるメストリ・ペルナ・ロンガのアカデミアにお邪魔しました。あのベストセラーCD「CAMINHADA」を世に放ったペルナ・ロンガです。グループの名前は、ノーヴァ・ジェラサゥン・ジ・アンゴラ(Nova Geração de Angola)。文字通り「アンゴラの新世代」という意味ですね。

 彼の奥さんアドリアナは日系の3世で、いままで電話で話したことは何度もあったんですが、ようやく対面することができました。3人の子供達もかわいかったです。写真の左端は、よその子です。

caminhada.jpg


 レッスンの最初30分くらい、ペルナが生徒たちに話をしていました。どうやら先週の金曜日のホーダの集まりが良くなかったようです。

 「水曜日の練習で、『メストリ、今日の練習はすごく良かったです。カポエイラ楽しいです!』と話していた人も金曜になると現れない。これはどういうわけか?」

 「ジョアン・グランジが言っていたが、『カポエイラはすべての人に与えるが、すべての人がカポエイラに与えるわけではない』。カポエイラからもらったら、カポエイラにも何かしてあげなくちゃいけない。ホーダに参加するというのも、その一つだ」

 私にも意見が求められたので、「どこでも抱えてる問題は似ているなぁと思いながら聞いていた」というと、そうだろうとうなずいていました。ただ日本では多くの人が週1回しか練習しないと話すと、生徒たちも含め「それは少ないね。それじゃ覚えられないでしょ」と口をそろえていましたよ。

 日本には日本のペースがあるのはもちろんですが、ブラジルの悩みは、もう少し高い次元にあるようです。羨望





posted by kubohara at 12:17| Comment(2) | カポエイラ探検隊

2013年03月03日

ヘプーブリカのホーダ

 本当は昨晩から夜行バスでリオ・デ・ジャネイロのカシアスのホーダに行く予定でしたが、諸般の事情で急きょ変更。サンパウロに留まって、溜まった仕事やスケジュール調整などの時間にあてることにしました。体休めにもなってちょうどよかったです。


 夕方からヘプーブリカ広場のホーダへ行きました。今日まで続くホーダの中でブラジル中でも最も歴史のあるストリート・ホーダの一つです。私もブラジルにいたときには、行ける週はほとんど行っていました。

IMGP1665.JPG


 95年はマウラゥン、ビネの全盛期。メストリ・アナニアスがビリンバウを持ち、ホーダの完全なコントロールを握っていた時代です。荒くれ者に交じってアンゴレイロたちも活躍し、スタイルのない健康的な恐ろしさの漂うホーダでした。

 その後ボクサー上がりのナニコが現れ、マウラゥンが去り、アナニアスも遠ざかって、ホーダが非常に無秩序でアグレッシブになった時代がありました。これがだいたい98年ごろです。このころはホーダに行くカポエイリスタ達の数もガクンと減りました。メストリ・ジョエルがパンデイロを叩きながらいても、荒れ狂う暴力をなかなか制止しきれない場面を何度も見ました。

 わたしは99年の12月に帰国していて、再びブラジルの土を踏んだのは2005年ですから、その間の変遷はよくフォローできていません。しかし今回の印象では、ホーダの雰囲気もすごくマイルドになり、メストリたちのコントロールもいきわたったいいホーダに戻っている感じを受けました。



rodarepublica.JPG

 順番を待つミシリカ。初のブラジルで、もうヘプーブリカ・デビューです。相手をよく見て、いいジョーゴしましたよ。

 それから、なんと大阪アウマ・ネグラのカルメンと三田さんにばったり遭遇。世界は広いようで狭いですね。





pintura1.JPG

 色あいのとても落ち着いた風景画家のスタンドの前を通った時、そのうちの2枚に一目ぼれしました。

 1枚は田舎の丘陵を描いた非常に奥行きのある絵で、もう1枚はパラチの教会を側面から描いたものです。カポエイラとは何の関係もないんですが、帰国後にこれらを見るたびブラジルでのいろんな気持ちを思い出せる感じがして、とても惹かれました。


pintura2.JPG

 値段も交渉して、2枚ともお買い上げ。1枚40レアル(約2,000円)なので、我が家の財務大臣の承認も得られると思います(笑)。

 自分の部屋に飾るかアカデミアに持っていくか迷うところです。





posted by kubohara at 12:47| Comment(2) | カポエイラ探検隊

2013年03月02日

メストリ・カヴァコのホーダ最高!!

valdenor.JPG


 今朝一番にアント・アンドレー市のメストリ・ヴァウデノール(Mestre Valdenor)を取材しました。

 彼は私がカポエイラを始めた95年当時サンパウロ・カポエイラ連盟の会長だった人で、私もその事務所を訪ねて何度か話したこともありました。現在は、日本語では国際カポエイラ連盟と訳すほかなく、セルジオのFICAと紛らわしいのですが、ポル語ではConfederação Internacional de Capoeiraとなる団体の代表を務めている人です。

 それにしてもここ数日のインタビューで感じるのは、私個人的にはカポエイラのスポーツ化に賛同できないのですが、セルジオにせよヴァウデノールにせよ、心の底からスポーツ化の利点を信じていて、非常に情熱的に語るということです。あらためてカポエイラの幅広さと奥深さを見せつけられる気がします。

valdenores.JPG

左からアラン(セノリーニャの生徒)、デニス、マルセロ(CICの事務局長)、メストリ・ヴァウデノールと私



panico.JPG

 移動中にデニスのバンド「Panico」の仲間たちと。小牧時代のデニ坊のイメージからは信じられませんが、帰国後はファン・クラブもできたほど、アント・アンドレーでは人気のグループだったそうです。



*********************************


 夜はヴィラ・ギリェルミ区にあるメストリ・カヴァコのホーダへ。このホーダは毎月1回、第1土曜日に行われます。

 とにかく素晴らしいホーダでした。ホーダの内も外も明るく楽しくリラックスして伸び伸びできる、今回のブラジルで一番良かったホーダです。

cavacoroda.JPG



mestrecavaco.JPG


 メストリ・カヴァコと。彼は今の場所に移る前、ボン・ヘチーロ区に工房を構え、ビリンバウやカポエイラの楽器を製作・販売していました。

 サンパウロにはトマース・ド・ビリンバウという有名なビリンバウ職人がいたのですが、彼が亡くなった後、そのブランドを継いだのがカヴァコでした。私も96年に帰国する際には、3本ほど彼のビリンバウを買ってきたものです。


dominguinhos2.jpg

 メストリ・ドミンギーニョスと再会。2009年のリオ以来です。


jaimegarciajuliana.JPG

 こちらも再会写真。左のメストリ・ガルシアは、99年にメストリ・ヘネのWSで知り合った人。髪の毛ドカンの人はメストリ・ジャイメ(パウロ・ドス・アンジョスの弟子でへネの先輩)とジュリアナ(ジャイメの生徒)


cavacoroda2.JPG

 最後に集合写真をパチリ。左端に腰かけているのはメストリ・アナニアスです。




posted by kubohara at 10:12| Comment(2) | カポエイラ探検隊

2013年03月01日

国際カポエイラ連盟会長セルジオ氏を直撃取材

sergiovieira.JPG


 2016年のオリンピックをめぐる動きや乱立する国際レベル、国内レベルの連盟の現状を整理するために国際カポエイラ連盟(Federação Internacional de Capoeira)会長のセルジオ・ヴィエイラ氏を訪ねました。

 今回の取材で彼の口から聞いて意外だったのは、FICAとしてもカポエイラのオリンピック競技化には反対だということでした。てっきりオリンピックの正式種目にすることを目指しているものだと思い込んでいたのでこれはちょっと驚きでした。

 では何を目指しているのかというと、正式種目になる全段階に「reconhecido」「vinculado」という2段階の承認形式があるそうで、このvinculado種目にするのが当面の目標とのことでした。そうなると、さまざまな助成など国際オリンピック委員会(IOC)のサポートが得られ、カポエイラの発展に大きく貢献できるというのが見通しのようです。

 そのためにはFICAの加盟国が120ヶ国ないとだめだということですが、現在はreconhecidoの条件をギリギリ満たす40ヶ国に止まっているとのこと。2016年までの達成は極めて難しいと見ているようです。






DSCF7186.JPG


 夕方はサンパウロ・カポエイラ連盟創立者のひとりで、先日取材したメストリ・アンドラーデの師匠でもあるメストリ・ピナッチ(Mestre Pinatti)のアカデミアを訪れました。

 ピナッチは1974年、全世界で初めての連盟となったサンパウロ・カポエイラ連盟の創設にも中心的にかかわった人ですが、現在はカポエイラのスポーツ化に反対の立場をとっています。「カポエイラはそれ自身完全なものなのだから、スポーツ化やオリンピックの力を借りる必要などない」という力強い言葉を聞きました。

DSCF7189.JPG


 アナ・ホーザという地下鉄の駅からほど近いアカデミアは、99年の3月1日のオープン。そのオープン・フェスタの時に私も参加していたんですが、そのことをメストリも覚えてくれていました。もう14年も昔のことです。

DSCF7183.JPG


 このパネルは、メストリ・ビンバがサンパウロを訪れた際に、当時の若手のメストリたちにサンパウロでのカポエイラの普及を託し、先駆者として9人を承認した認定証です。このパネルではグループ名がAssossiação de Capoeira São Bento Pequenoで、ビンバの隣にはピナッチの写真が貼ってありますが、メストリ・ブラジリアのアカデミアではAssossiação de Capoeira São Bento Grandeとなっていて、ブラジリアの写真が一番上に貼ってあります。スアスナのアカデミアにも同じものがありますよ。

 現在この中で生きているのは、ブラジリア、スアスナ、ピナッチ、ジョエウ、とゼ・ジ・フレイタスの5人で、うち現役でカポエイラを指導しているのは最初の3人です。ちなみに9人のうちバイアーノでないのは、ピナッチだけです。


DSCF7192.JPG


 とそこに、ひょっこりトゥカノ・プレット(Tucano Preto)が。

 私のイメージではもっと大男かと思っていたのですが、想像していたよりも小柄で、純朴な青年という印象を受けました。でもアバダの2回連続チャンピオンですからね。名古屋でジョーゴするのが楽しみです。

 10月に名古屋のインカのイベントで訪日予定で、名古屋でまた会おうと話しました。





 夜はメストリ・マホンのホーダへ。タボアン・ダ・セーハという、どちらかというと僻地にあるんですが、バスがなかなか来ずに、降りてからも道に迷い、最後の30分ほどしかいられなかったのが残念です。

IMGP1840.JPG


 ちょっぴり消化不良な夜になりました。






posted by kubohara at 19:55| Comment(6) | カポエイラ探検隊

2013年02月28日

ジーニョ・ナシメントとビリンブン演奏

dinhocecilia.JPG



 本日最初の約束は、午後1時にジーニョ・ナシメント(Dinho Nascimento)の家でした。おなじみビリンバウ・ブルースのジーニョです。

 昔と今のメストリたちの存在感、指導法の違いなどについて、ひとしきり話しこみました。

DSCF7172.JPG


 奥さんのセシリアさんがマンゴとバナナにグラノウラと蜂蜜をかけたデザートを出してくれました。初の生マンゴの味にミシリカも大感激でした。

 ビリンバウ・オーケストラの映像を見ながらいろいろ情報の交換をしました。ヴァジアンドで行ったビリオケの映像も見てもらったんですが、とても高く評価してくれましたよ。懐かしい人はこちらで聴けます。ぜひヘッドフォンで。http://capoeiradio.com/article/47336319.html

 話が盛り上がりすぎて、気がついたら次の約束に30分遅れ。ドナ・セシリアに車で送っていただきサンパウロ大学に向かいました。


gladsonvinicius.JPG


 サンパウロ大学を定年で昨年退官したメストリ・グラドソン(Mestre Gladson)。

 大学の体育教育にカポエイラを導入した第一人者です。メストリ・パウロ・ゴメス、アイルトン・オンサに学び、サンパウロ・カポエイラ連盟の創設にも尽力しました。

 彼には95年に参加した「カポエイラ・クリニック」のとき以来いろいろお世話になっています。2000年に長野のウィルソンと共催で私が初めて日本に招へいしたメストリもグラドソンでした。

 今回は、90年代に行われていたカポエイラの学生大会(Jebs)についての話を伺いました。

 弟子のヴィニシウスとの共著本をプレゼントで頂きました。



 夜はンジンガのホーダへ行きました。

 コウスケ君とも再会。羨ましくなるような動きの軽さ、トリッキーかつ機能的なジョーゴはボニートでしたよ。彼の立ち振る舞いや仲間とのやり取りから、グループの中核を担う重要な存在であることが感じられました。帰国した際には、日本に素晴らしいアンゴラをもたらしてくれるでしょう!

 もう一人。写真を撮ればよかったんですが、日系2世で80歳になるマリオさん。八〇、八十ですよ!!ジョアン・グランジと同じか一つ上くらいですよ。彼のジョーゴも素晴らしいものでした。前回お邪魔した2009年の時に息子さんのテルとともに始めたばかりだったと思うんですが、失礼ながら、よく4年間続いたということにまず驚きです。若者や子供ばかりの環境ですし、やはり練習も大変だと思います。ヴァジアソンの若者たちにも、ぜひ見習ってほしいと感じました。

 途中でセノリーニャ、ブランダゥンといった旧友たちも出現。私にとってはとても居心地のいいホーダでした。





posted by kubohara at 12:52| Comment(0) | カポエイラ探検隊

2013年02月27日

ミニョッカと

 ブラジルに着いて昨日でちょうど1週間。今日は2週間目の初日です。日本の1カ月分くらい生きた1週間だった気がしますが、体のほうも少ずつし疲れがたまってきている気がします。

 というわけで昼過ぎまで宿でゴロゴロして過ごしました。みんなが働いている時間に寝ているのは、それだけで気分のいいものです。日本で撮ってきた妻や子供たちの写真をパソコンのスライドショーで流しながら、資料をめくってはウトウト、めくってはウトウトという至福の時間です。

lanchonetenagoia2.JPG


 午後2時ごろ隊員のミシリカが、午前中のプリーニオの練習のついでに第3のミッションを無事遂行して帰ってきたので、遅めの昼飯を食べに行きました。今日は水曜日なのでフェイジョアーダです。リベルダージのほうへ歩いて行くと、文協(ブラジル日本文化協会)のはす向かいにあったバーが改装されて、Lanchonete Nagoia(ランショネッチ・ナゴヤ)という店になってるではありませんか!これも縁だと思い、そこで食べることにしました。「名古屋出身者は安くなるのか」と尋ねたら「いや、むしろ協賛金を募っている」と切り返されました。



 夕方からはミニョッカ(メストリ・アナニアスの弟子)とゆっくりおしゃべりしてきました。彼とはカポエイラ観が非常に似ていて、問題意識や目指すものにもすごく通じるものがあります。


minhoca.JPG
ホーダの日にミニョッカと



 最近のメストリをめぐる人の動き、ホーダの様子やバテリア編成の難しさ、人材の足りなさ、プロジェクトの企画や資金集めの問題など、話題は尽きません。道端の木にもたれかかったり、座り込んだり、さまざまにポジションを変えながら、気がついたら3時間たっていました。



 こりゃ、いかん、遅刻だ!急いでメストリ・ブラジリアのレッスンへ走りました。

 毎日いろんなメストリと話をし、あちこちのホーダに顔を出していますが、私にとってこの源泉を欠かすことはできません。自分にとって一番大切な根源を確認すること、あるいは初心に立ち返ることをポルトガル語で「beber água na fonte」と言います。文字通り「源泉で水を飲む」という意味ですね。

 今日も一日の締めはメストリ・ブラジリアでした。ほかの生徒と一緒にメストリの話を聞いていると、最初の修行時代を思い出します。


brasiliaeananias.jpg
アナニアスとブラジリア



 ミニョッカとも話していたことですが、何年たっても同じように自分を導いてくれる人がいるのはとても幸せなことだと思います。メストリに怒鳴られるたびにワクワクし、鳥肌さえ立つと。しかし裏を返せば、それは永遠には続かない、おそらくはそう遠くない将来、もう感じることができなくなるセンセーションだとわかっているからではないでしょうか?「今のうちだぞ」という感覚がいつも心のどこかにあるんだろうと思います。






posted by kubohara at 01:31| Comment(0) | カポエイラ探検隊

2013年02月26日

ジャポネース大集結

ananias.JPG


 今晩はすごかったです。

 ボネキーニャがアレンジしてくれる形で、GCAPのケンジと奥さんのメウさん、虎之助君(2か月)、Nzingaのコウスケ、私にミシリカという、現在サンパウロに滞在している日本人カポエイリスタが、メストリ・アナニアスのホーダに大集結しました。

 日本でもなかなかないだろう顔合わせに、せっかくだからと帰り道、途中のバールで飲み会に。そもそもホーダが終わったのが23時をとうに回っていたので、飲みが始まったのも0時近くだったと思います。アナニアスのホーダの感想から始まって、お互いのカポエイラに対する思いや理想を肴に、杯を酌み交わしました。

 ホーダはいつものアナニアス節が炸裂。ホーダの途中に少しその場を外したミニョカに気付くと「ミニョカはどこだ?どこへ行った?彼がいなくてはホーダはできない」と、突然ホーダが中断。しばらくして戻った彼に、「俺とお前は二人で一つなのに、どうして無断で俺とホーダを見捨てたりするんだ」と、延々とお説教が続きました。日本人的にはあり得ない理屈ですが、これを真顔でこだわりきるメストリは、誰からも愛されているんです。



*************************************



 午前中は所用でヘプーブリカのカポエイラ・ショップへ。私が字幕を付けたメストリ・ヘネのDVDと『カポエイラ音楽の手引き』を委託の形で店頭に並べてもらうことになりました。


 そこでバルセロナから一時帰国中のメストリ・シナとばったり。彼のCDはカポエイラ・ショップ ビリンバウでもおなじみですよね。表紙が絵の、かわいいやつです。彼も新しいCDとDVDをリリースするようです。

china.JPG


 その後お昼を食べる余裕もなく、今日もサント・アンドレーへ。今日はメストリ・アンドラーデに、サンパウロ・カポエイラ連盟創立の経緯やカポエイラの組織化の問題点などについて、じっくり話を聞くことができました。


andrade.JPG
真中がメストリ・アンドラーデと右がデニス


andrade3.JPG
サント・アンドレー・カポエイラ協会のロゴマーク


andrade2.JPG
右上の写真はアンドラーデとソンブラです


 上のパネルで左下に写っているのがメストリ・ヴァウデノ−ル(Mestre Valdenor)で、彼もまたサンパウロ、ブラジルのカポエイラの発展を語る上で外せない人物の一人です。土曜日に取材することになっています。




posted by kubohara at 19:34| Comment(2) | カポエイラ探検隊

2013年02月25日

メストリ・ゼキーニャとペルナ・ロンガ

pira1.JPG


 見てください、この雲!本日のメインは、ピラシカバ市にメストリ・ゼキーニャを訪ねたことです。

 ピラシカバは、チエテ・バスターミナルからバスで2時間。途中にDENSOの大きな工場もあります。

pira2.JPG


 メストリ・ゼキーニャは2006年のカポ探でも訪ねていますが、そもそもの縁はパチーニャ(Yoko)がブラジルの日本語教師時代に彼に習っていたことでした。

 日本ではほとんど知られていませんが、ゼキーニャといえば、あのカベロ(ジョアン・グランジの)の最初の先生でもあるんですよ。もともとカベロが、このピラシカバ出身で、当時は二人ともグルーポ・カチヴェイロ(代表はメストリ・ミゲウ)に所属していた時代でした。

pira3.JPG


 ゼキーニャは本当に心の優しい人で、その人柄が表情にも行動にもあふれ出ています。今回も7年のブランクを感じさせないほど温かく迎えてくれました。

 昨年にリリースした2枚目のアルバムもばっちり仕入れてきましたので、また楽しみにしていてください。

pira4.JPG




*************************************



 ピラシカバへは午後2時30分のバスで行きました。午前中はメストリ・ペルナ・ロンガ(Nova Geração de Capoeira Angola)と会いました。アカデミアにお邪魔している時間はなかったのですが、なんと彼のほうから私がいるサン・ジョアキンまで出向いてくれ、お互いの近況について小一時間いろいろおしゃべりしました。

 彼は昨日までリオのメストリ・キンギ(元アバダの)のイベントに招待されていて、メストリ・モライスとも一緒だったそうです。イベントの感想や彼のカポエイラ観など、いろいろ話してくれました。本当はそういうネタほど面白いんですが、ここでは細かい舞台裏まで説明している余裕はありませんので、中途半端に触れて誤解を招かないためにも、内容には触れないでおきます(笑)。

pernacd.jpg


 彼からもCD(すでにリリースされているコントラ・メストリ・ペルナとの合作)を仕入れました。前回はあっという間になくなってしまったやつなので、悔しい思いをした人は楽しみにしていてください。

 そうそう新作CDとDVDの情報も聞きました。予定では年内にDVDをリリースするようです。内容は、彼がこれまでに主催してきたイベントのハイライト集で、ジョアン・ピケーノ、ビゴジーニョなど亡くなったメストリたちも登場するといって言ってました。





posted by kubohara at 19:50| Comment(0) | カポエイラ探検隊

2013年02月24日

サント・アンドレー市のカポエイラ

 今日も朝から「朋あり遠方より来る」の第2幕です。

 ソロカバから朝9時半のバスでサンパウロに戻り、いったん宿に荷物を置いてから繰り出したのは、むかし小牧に住んでいたカポエイリスタ、デニスの家です。

DSCF7089.JPG


 今日の目的は、彼の奥さんサンドラから頼まれていたチョコパイとふりかけを届けるのが半分と、火曜日に約束してあるメストリ・アンドラーデ(Mestre Andrade)の取材の打ちあわせが半分です。

 メストリ・アンドラーデはサント・アンドレーで最初にカポエイラのアカデミアを立ち上げたパイオニアで、1974年のサンパウロ・カポエイラ連盟の創設にも携わっています。サンパウロのカポエイラ草創期にバイーアから来たカポエイリスタたちに学んだ第一世代になります。彼の場合は、アナニアス、フェヘイラ、シウヴェストリ、ピナッチといった先生たちの教えを受けているそうです。

 その弟子には、たとえば現在国際カポエイラ連盟(Confederação Internacional de Capoeira)の代表を務めるメストリ・ヴァウデノール(Mestre Valdenor)がいますが、この人はあのメストリ・マウラゥン(Mestre Maurão)の師匠です。今日メストリ・アンドラーデはカポエイラを教えるのをやめていますが、デニスは彼の最後のフォルマードなんです。

 デニスの家で古いアルバムを見せてもらいましたが、むかし一緒に出演した犬山のリトルワールドで行われたラテン・アメリカ・フェスティバルや大須のサンバ、愛知県武道館のジョアン・グランジ講習会など、私も持っていないような写真を一杯見ることができました。

 話していても、私が完全に忘れているようなことを鮮明に覚えていたり、やはり同じ場所にいても人によって感じ方や記憶のしどころが全然違うんですね。私も日ごろから、思い出を記憶にとどめようと意識しているほうですが、複数の人との語り合いを通して何倍も多くのことを記憶にとどめることができる、思い出せるということに改めて気付かされた時間でした。

 

***********************************



 夕方からは昔長崎と広島でカポエイラを教えていたトゥカの家を訪ねました。彼もサンパウロに行くたびに会う人の一人です。

DSCF7091.JPG


 彼はメストリ・ルーア・ジ・ボボーの弟子で、つい先日までアレンベッピのメストリのところに行っていました。今はオザスコ市で子供たちにカポエイラを教えながら、シューズ・メーカーの代理販売をしています。

 彼の家にお邪魔したのは初めてだったんですが、裏庭にラランジャ、リマゥン、ゴイアバ、ママゥン、マンガ、ピタンガなどの果樹が生えていました。果物に目がない私としては、なんかそれだけで豊かな気持ちになります。


 この間、隊員のミシリカはボネキーニャという超一級のガイドを伴って、リベルダージやヘプーブリカのフェイラ(蚤の市)めぐりへ。いろいろ目新しいものを食べたようでご満悦でした。

 ヘプーブリカのホーダの写真を見せてもらうと、セノリーニャの姿が。久しぶりに会いたかったです・・・。





posted by kubohara at 20:26| Comment(4) | カポエイラ探検隊