2014年03月26日
リオからバイーアへ(3/14)
リオからサルヴァドールへ向かう機内からの風景です。
ゆるやかに丸みを帯びた水平線から宇宙に向かって青の深みが増していく様に、地球を感じました。
ラセルダのエレベーターを下から見た図。
メルカード・モデロ前を一面埋めつくしていた露店は、市によって一時的に移転させられていました。この通り閑散としています。またリフォームした後に復活される見通しとのこと。やはりワールドカップ対策でしょうか?
初日に食した1年ぶりのバイーア料理。私の大好きなシンシン・ジ・ガリーニャ(Xinxim de galinha)にヴァタパ(vatapá)、カルル(calulu)、フェイジョン・フラジーニョです。
昼間の写真は見飽きているので、たまには夜景を。ラセルダのエレベーターです。
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山奥のホーダ(3/16)
バイーアの観光名所の一つ、というよりはリゾート地と言ったほうがいいかもしれませんが、今日はヴァリ・ド・カパゥン(カパゥン渓谷)にメストリ・バルテロー(Mestre Barteló)を訪ねました。
彼とは昨日のフェイラ・ジ・サンタナのホーダで初めて出会ったばかりです。彼の先生のメストリ・オラヴォ(ビリンバウで有名なオラヴォとは別人)が、サンパウロの先駆者の一人メストリ・ゼー・ジ・フレイタスの弟子だと聞いて、興味をそそられ、急きょお邪魔する約束を取り付けたしだいです。
行き当たりばったりの出会いで、どんどんはまり込んでいくのがカポエイラ探検隊のだいご味でもあります。
こういう岩山、大自然に囲まれた素晴らしい村でした。この日は日曜日で、朝市には地元人よりも世界中から集まってきたヒッピーのほうが多いくらいの印象を受けました。
左の黄色いTシャツがメストリ・バルテローです。
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o mo Deus!(3/15)
今日はフェイラ・ジ・サンタナのメストリ・クラウジオのホーダに行きました。
朝10時前には着く予定で出発しましたが、途中の道路工事のおかげでバスが大幅に遅れ、結局着いたのは11時30分ごろ。すでにアデウスを歌っている最中でした。
あわてて駆けつけた私を見つけてくれたメストリが呼んでくれ、メストリを含めて立て続けに5人とジョーゴをさせてもらって、ホーダが終わりました。滑り込みギリギリの幸運でした!
さぁそのあとサンバだというところで大雨に。あえなく10分ほどでお開きになり、速やかに飲み会へと移行したのでした!!
タイトルの「o mo deus」というのは、O meu Deus(Oh my God!)をメストリ・クラウジオが茶化してマイ・ブーム化させている言葉で、シャンダゥンのグループでも流行り言葉になっていました。この日はオリジナルの「オ・モ・デ〜ウス」が聞けて大感激でした!
ちょうど上の写真は「オモデ〜ウス」と叫んでいる瞬間です。
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2014年03月25日
お宅訪問(3/12)
私にとっては最も優れたカポエイラ研究者の一人マチアス・アスンサゥン氏に、今朝メストリ・マホンの練習に行ったときに、ばったり出会いました。
彼は現在イギリスの大学で教鞭をとっていますが、調査のため長期でリオに滞在中とのこと。メストリ・コブラ・マンサとともにアンゴラをおとずれ、カポエイラの祖先とされる格闘ダンス、ンゴロ(n'golo)の現状を追ったドキュメンタリー『Jogo de corpo』を製作している人でもあります。
さっそく今日のお昼過ぎに約束をし、お宅にお邪魔していろいろ話をしてきました。今年のカポ探、ここまでで最も大きな収穫でした。
マチアス氏の家からバスに乗り、イタプアンの家へ。
17:30の約束が少し早く着いたので、いっしょに長男のハヴィ君を幼稚園に迎えに行きました。お隣さんの子供もついでに乗せてきて、イタプアンもすっかりパパの顔。
今晩はフェハドゥーラも合流して、先日ホライマで行われたモヴィメント・ノーヴォのビデオ編集を行うことになっていました。が・・・、結局は最近のカポエイラの話でずっとしゃべりっぱなしで、日本食の出前を取って、しゃべって、気がついたら23時を回っていました。
イタプアンには二男のカエターノ君が誕生しています。おめでとう!!
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2014年03月14日
有色人種(3/6)
シャンダゥンのアカデミアの壁にさりげなく貼ってあった一編の詩です。
我が兄弟、白人よ・・・・
生まれたとき、私は黒かった
成長してからも、私は黒かった
太陽にあたっても私は黒く
寒い時も私は黒い
恐怖に震える時も私は黒い
病の時も私は黒い
死ぬ時も私は黒いだろう
しかしあなた方白人はどうだろう
生まれた時は赤みがかって
成長したら白くなって
太陽に当たれば真っ赤になり
寒い日には紫色になり
恐ろしい時には真っ白になり
病気の時には緑になり
死ぬ時には灰色になる
それでもなおあなた方は
私のことを
有色人種と呼ぶのだろうか?
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川遊び(3/2)
カーニバル中でもシャンダゥンのところの練習は止まりません。
夕方6時30分からの練習前に、滝に連れていてくれました。
今朝は5時30分のバスでサンパウロからボネカが合流。いっぺんに賑やかになりました。
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2014年03月11日
フェハドゥーラのレッスン(3/11)
今朝はリオのカポ・ショップに顔を出して、店主のブルーノと1年分の溜まった話題をいろいろおしゃべり。ここでは買い物より情報交換がメインです。
商品的には、日本で売るほどのめぼしいものはほとんどありませんでした。ジョンゴのCDを3枚とメストリ・ボア・ヴォイス、メストリ・ナゴのCDを自分用に買っただけです。
メストリ・ナゴは、今はアバダですが、昔センザーラ時代にトニ・ヴァルガスと共作で出したLP(私はカセットしか持っていません)は、非常にすばらしい作品でした。その記憶があったので、現在はどんなだろうと興味を持ったしだいです。
夕方はフェハドゥーラの練習に参加しました。昨年と同じ顔ぶれが半分、新しい顔ぶれが半分でした。
昨日の練習にしてもそうですが、近年の彼の練習はムージカポエイラ(musicapoeira)の影響がプンプンです。ムージカポエイラとは彼が考案した音楽の練習法で、音楽と動きをいかにシンクロさせるか、楽器の音と歌声をいかに調和させるかという点に主眼を置いているようです。
練習が始まる前、ひとり目を閉じて「ン〜ン〜ン〜」と音階を裏声で歌うフェハドゥーラは、ちょっと不気味でした(笑)。
最後すごく良かったのが、上の写真でもわかると思いますが、フルートとカヴァキーニョを導入したホーダです。とてもメロディカルで、また別のエネルギーが宿りました。別の日にはサックスも登場するそうです!!
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2014年03月04日
海を越えた偶然(3/4)
写真に写っている黄色のTシャツの人はプレットというカポエイリスタで、職業として指圧などもすることから、彼がスペインにいる時に日本に行きたいのだがと相談された人でした。
それまでメールでやり取りしただけの人がなんと偶然、シャンダゥンの練習に現れたのでした。聞けば、ここパラグアスの出身で、里帰りで立ち寄ったところ、ビリンバウの音がしていたのでのぞいてみたとのことでした。
そこにたまたま私がいたというわけです。偶然にもほどがあると二人であきれた次第です。
翌日お昼ご飯に呼んでもらい、紹介してくれたのがパラグアスのカポエイリスタの重鎮の一人メストリ・ビエです(写真真ん中)。
聞けば彼のメストリのメストリ・インジオがその昔サンパウロでメストリ・ブラジリアに学んでいたとのことです。これまた奇妙な縁に感心したのでした。
その後シャンダゥンに池というか沼に連れていてもらいました。カンナ、クルィスは見学。ボネカと二人水浴びしている図が下です。
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2014年02月25日
パラグアス合宿(2/25〜)
カーニバル中はカポの練習を始め、街の様々な機能がストップします。例年はカーニバルが終わるタイミングを待ってカポエイラ探検隊を始めていたのですが、今年はカーニバルが3月4日までと遅く、終わるまで待っていると時間がなくなってしまうので、カーニバルを避ける形でサンパウロの地の果てパラグアス・パウリスタにやってきました。
ここでコントラ・メストリ・シャンダゥンの家にお世話になりながら1週間半カポエイラ漬けの日々を送りました。
こじんまりした街はすべて歩いて回れます。バスもありません。
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2014年02月21日
ハファエウ、ペルナ、ソンブラ(2/21)
カポエイラ探検隊2日目は、午前10時にジャバクアラ駅でハファエウとの待ち合わせから始まりました。
ハファエウといってもピンとくる人は、まだ多くないと思いますが、メストリ・アナニアスのCDで「ハファエ〜ウ」とメストリが何度も呼んでいるあの人だと言えば分かる人もいるのではないでしょうか?いないですよね(笑)。
私にとってはメストリ・アナニアス直伝のビリンバウを受け継いでいる数少ない本物の一人です。まだこれから彼の名前は知られていくと思います。
ハファエウとオレンジジュースを飲みながら、カポエイラとの出会いや彼のカンドンブレについてひとしきり話を聞きました。
そこにやって来たのはメストリ・ペルナロンガ。本当は今晩の彼のホーダを訪ねる予定だったのですが、私の都合が合わずに、ジャバクアラまで出てきてもらうことになりました。
彼は先週の土曜日(2/15)
夜はボネカの誘いに乗ってサントスへ、メストリ・ソンブラを訪ねました。ちなみにサントスは、1908年6月18日に最初の日本移民を乗せた笠戸丸が入港した町です。
この日の練習は夜8時からということで、現地入りしたのも8時前ぎりぎり。夜の港町は淫靡な香りがぷんぷんです。
人影もまばらで、オレンジ色の街灯が怪しい道をしばらく行くと、ビリンバウの音が聞こえてきました。
メストリとは1999年に彼が主催したジョアン・グランジとルーア・ジ・ボボの講習会で会って以来の再会です。
アカデミアに入って見ると、その縦長の間取り、壁の写真の飾り方、塗られたペンキの色合いが昔のメストリ・ブラジリアのアカデミアとそっくりで妙な懐かしさを覚えました。
posted by kubohara at 11:30| Comment(0)
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